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2018.11.08
骨董品

宮川香山【帝室技芸員/陶芸家】

宮川香山(みやがわこうざん)

 

陶芸家の宮川香山は

 

1842年に京都で陶業を営んでいた陶工、

 

真葛宮川長造の子として生まれました。

 

やがて19歳の時には家を継ぎ、茶道具を中心に

 

当初は色絵陶器、磁器などを制作していました。

 

その腕前は高く評価され、幕府から御所献納品を

 

依頼されるまでとなっています。

 

また、岡山藩家老の茶人伊木忠澄に請われて

 

岡山県の瀬戸内市に赴いて

 

制作の指導なども行いました。

 

29歳になると、薩摩御用商人の梅田半之助

 

実業家の鈴木保兵衛らの招聘を受けて横浜の野毛山に

 

輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を構えました。

 

これが明治から昭和にかけて横浜の地で隆盛した

 

「真葛焼」の始まりといわれています。

 

宮川香山は、当初は「薩摩焼」の作品を研究して

 

制作した作品を「真葛焼」として輸出していましたが

 

後に、「高浮彫」と呼ばれる技法を編み出し

 

その作品に活かして行きました。

 

この技法は、「薩摩焼」のように金を使わず

 

彫刻を施すことにより表面の文様を生み出すという技法で

 

高価な金を使わない為、制作費も抑えられたのです。

 

その後1876年にフィラデルフィア万国博覧会に

 

高浮彫りで作った真葛焼を出品すると

 

その作品は絶賛され、高い評価を受けました。

 

これを皮切りに、1878年には

 

パリ万国博覧会にも出品するなど

 

宮川は国内外の博覧会・展覧会で

 

受賞を重ねていきます。

 

そして1896年、54歳のときに

 

帝室技芸員に任命されました。

 

 

 

宮川香山の作品の特徴と技法

 

宮川香山は、当初評価を受けていた「高浮彫」では

 

鷹、鳩などの鳥類や桜、ぶどう、蓮などの植物

 

熊、猫などの動物、鬼、擬人化された蛙などを

 

立体的に写実的に描いています。

 

しかし、宮川は生涯「高浮彫」のみに徹したわけではなく

 

「高浮彫」から次第に離れていった時期もありました。

 

真葛窯を跡取りの半之助に継がせて

 

清朝磁器に使われていた釉薬の研究に没頭し

 

「釉下彩」の技法を習得するなど

 

新たな技法の研究に没頭したのです。

 

その後は「釉下彩」の技法を駆使した真葛焼を中心に

 

「青華」、「釉裏紅」、「青磁」、「窯変」、

 

「結晶釉」などの作品を作り出すなど

 

自身の編み出した技法を組み合わせた

 

新たな作品を一商品として確立させ、

 

輸出産業を発展させていきました。

 

 

 

宮川香山の評価される所以

 

宮川香山は、高浮彫りや華麗な釉下彩などで

 

一世を風靡し、その作品は日本国内

 

また世界の展覧会や博覧会などで

 

受賞を重ねています。

 

その実績が認められ

 

陶芸界では二人目の帝室技芸員に任命されました。

 

その後も様々な技法の研究に取り組んでおり

 

名実ともに陶芸界の第一人者となっています。