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2019.06.14
骨董品

宮之原謙【工芸作家・陶芸】

宮之原謙について

 

宮之原謙は1898年2月に鹿児島市で生まれます。

 

最初は建築家を目指していたものの

 

体調を崩した関係で、20代半ば頃から

 

二代目・宮川香山に陶芸を学びはじめました。

 

また日本画においては山水画で有名な

 

山内多門から学んだり、

 

品位の高い作品を作り上げた板谷波山からも

 

陶芸についてレクチャーされています。

 

1927年にはその板谷波山や宮川香山などがいる

 

関東の陶芸作家達で組まれた東陶会にも

 

加わりました。

 

そのほか帝国美術院展覧会などで活躍し

 

50代後半には光風会の会員、

 

8年後の1963年には東陶会の会長となっています。

 

このように陶工家として地位を強めていますが

 

さらに陶芸について深く学ぶため

 

中東や北欧、ネパール、南米などを

 

旅するなどしました。

 

 

 

■二代目・宮川香山

 

本名は半之助と言います。

 

京都に生まれながらも横浜にて、

 

明治時代の代表的な作家となった

 

初代・宮川香山の孫として誕生しました。

 

1892年には大日本窯業協会会員として

 

活躍するなどしています。

 

ちなみに宮之原謙が

 

板谷波山からも教えを受けたのは、

 

二代目・宮川香山からの

 

アドバイスによるものだったといいます。

 

 

 

■東陶会

 

板谷波山を中心に結成。

 

関東の中でもただ一つの陶芸集団として、当時は

 

日本美術展覧会の作家を中心に構成されています。

 

様々な場所で作品を発表してきましたが

 

1939年に解散。

 

しかし現在は復活し、日本美術展覧会でない

 

作家達も多く在籍しています。

 

 

 

■光風会

 

1912年に結成されています。

 

絵画と工芸部門に分かれ、解散した白馬会の中から

 

欧州地方やアメリカに何度も出向き

 

洋画を描いてきた三宅克己、

 

外光派を代表する洋画家の小林鐘吉などで

 

結成されました。

 

なお工芸部は第5回の展示から

 

京都文化博物館で作品を発表しています。

 

 

 

中東地方における陶磁器について

 

中国は唐時代から、陶磁器において

 

非常に高い技術を持っています。

 

そしてその技術は諸外国間の貿易で

 

大きな意味をなし得ていました。

 

陶磁器を運ぶ手段の一つとしては

 

航路も使われていましたが、

 

中東地方はその貿易路の中間地点として存在し

 

そしてこれらの地方で作られた陶磁器も

 

中国の影響を受けていると指摘されています。

 

しかしただ影響を受けているだけでなく

 

その影響を活かして「イズニック陶器」など

 

独自発展を遂げたものも多く存在します。