日本画家の安田靫彦は、1884年に東京日本橋の
江戸時代から続いた「百尺」という料亭の
四男として生まれました。
12歳の頃に私塾甲津学舎で
四書の素読や日本外史などを学んでいます。
住まいが上野公園に近く、博物館や共進会で
作品の数々に接する機会が多く、
その素晴らしさに感銘し
画家の道へ進むきっかけになりました。
1898年に小堀鞆音の門下になり、紫紅会を結成し後に
今村紫紅を迎えて紅児会に改称します。
日本美術院に入り院展への出品を続け、
第1回院展では「家貞」を出品して
入選を果たしています。
1901年に東京美術学校日本画家選科に入学しますが
1年も在学せずに退学します。
その後、岡倉天心に知られ薫陶を受けますが
天心が亡くなるとその門下の横山大観、下村観山らと
日本美術院再興に関わりました。
1907年には、東京勧業博覧会で
「最手(ほて)」が二等賞、
第1回文展では「豊公」が三等賞を受賞します。
日本美術院再興に尽力した院展には
第1回から出品を続け院展の発展にも寄与しました。
これらの功績により、1934年、50歳のときに
帝室技芸員となり、また64歳のときには
文化勲章受章しています。
安田靫彦の作品は歴史画に優れ、
大和絵を基盤にした優美な線描、
典雅な色彩を特徴としており
新古典主義的画境を確立しました。
古陶に対する造形も深く、東洋古陶、土偶などの
収集も多かったようです。
歴史画のほか花卉画も多くみられ、品格が高く、
その画は馥郁(ふくいく)たる花の香りに
例えられるほど優雅で気品に満ち溢れています。
代表作には「夢殿」(1912年)、
「孫子勒姫兵」(1938年)、「黄瀬川の陣」(1940年)
「王昭君」(1947年)などがあります。
安田靫彦は、その優れた作品で新古典主義的を
開拓しただけでなく、その制作活動の傍らにも
大きな功績を残しています。
1939年には法隆寺壁画保存会委員となり
模写事業に従事し、戦後は国宝保存会委員、
正倉院評議会会員、文化財専門審議会委員、
東京国立近代美術館評議員を歴任し、
美術行政にも大きく貢献しました。
また、1944年からは
東京美術学校(現東京芸術大学)教授に就き、
後進の育成にも尽力しています。
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