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2019.03.22
骨董品

安井曾太郎【帝室技芸員/洋画】

安井曾太郎(やすいそうたろう)

 

安井曾太郎は1888年5月に京都市で生まれます。

 

実家は木綿問屋を営んでいますが

 

1903年に商業学校を辞めてから、18歳のときには

 

関西美術院にて同じく洋画家として活躍する

 

梅原龍三郎と、日本のミレーと言う異名を持つ

 

洋画家の浅井忠から教えを受けます。

 

やがて1907年にはフランスに渡り

 

アカデミー・ジュリアンの教授である

 

J.P.ローランスから、セザンヌやゴッホと言った

 

後期印象派について学びました。

 

26歳で帰国すると、その翌年から二科会に入り

 

44点もの作品を出展し、名が広まるようになります。

 

そして1944年、56歳のときに

 

帝室技芸員認定されました。

 

代表作には金蓉や婦人像、外房風景などがあります。

 

 

 

特徴

 

安井曾太郎の作品の特徴としては、

 

セザンヌの精神を受け継いだ

 

しっかりしたデッサン力による、見事な人物像にある

 

と言われています。

 

その特長が最も現れている作品の一つとしては

 

若い女性を描いた『金蓉』があり、

 

日本人らしい佇まいを描いていると言われています。

 

なお安井曾太郎は関西美術院時代から

 

「デッサンの神様」と呼ばれるほどデッサン力に優れ

 

写実や素描が徹底して上手いと言われています。

 

しかし決して作品は写実的ではなく

 

適度にデフォルメされているのも、

 

安井曾太郎の特徴と言われています。

 

 

 

作品と時代の背景

 

セザンヌの作風について

 

セザンヌには物体を多角的に見る

 

と言った特徴があります。

 

セザンヌは後期印象派の一人として数えられますが

 

印象派は物体よりも

 

光の当たり具合の変化を重視しています。

 

ですので印象派とセザンヌの作品は真逆であり

 

またセザンヌはそう言った印象派の作風に

 

疑問を呈する考えがあったようです。

 

安井・梅原時代について

 

安井曾太郎と梅原龍三郎は名を馳せるようになると

 

洋画界を盛り上げる「安井・梅原時代」

 

と言われるようになります。

 

ちなみに梅原龍三郎も安井曾太郎と同年に

 

帝室技芸員に認定されています。

 

また安井曾太郎の関西美術院時代から分かるように

 

梅原龍三郎も安井曾太郎には交流関係があり

 

生涯を通して関係が続きました。

 

 

 

梅原龍三郎と並んで一時代を築いた安井曾太郎

 

安井曾太郎はフランスでの絵画の考え方を

 

しっかり日本のものに投影させた

 

作家の一人と言えます。

 

またそれが日本で支持され、

 

「安井・梅原時代」と言われたと考えられます。