奈良岡正夫(ならおかまさお)
奈良岡正夫(本名:政雄)は
1903年6月に青森県弘前市で生まれました。
15歳の時に中津軽郡玉成高等小学校を卒業した辺りで
ねぷた絵を積極的に描き、1919年に家を出ます。
しかし実家は農業を営んでおり、
家業を継がせる為にすぐに連れ戻されてしまい
奈良岡正夫は農業をする傍ら
独学で絵を学んでいきました。
その後1922年には農業をしながらも
白樺の影響を強く引き継いだ松木満史や、
独学から帝国美術院展覧会に入選するまでに至った
棟方志功が立ち上げた青光画社に入ります。
1925年には再度家を出て本郷絵画研究所に入るものの
不満を感じていた奈良岡正夫はすぐに辞め、
それでも故郷に戻る事なく様々な仕事に就きます。
戦時中は戦争記録画を描くなどしますが、
1971年には東京都文化功労賞を獲得。
1989年には
弘前市制100周年記念特別企画展が開かれたり
1996年には弘前市名誉市民など
弘前を代表する画家となりました。
2004年5月、100歳で息を引き取っています。
作風
奈良岡正夫は描く題材に対して誠実に見つめ
確かな描写力によって
作風を展開している事で知られています。
題材としては、ねぷた祭りを描いた
「日本の祭」シリーズや、山羊や牛などがあります。
これらについて奈良岡正夫は
「自身が愛着を持つものしか描けない」
と言った趣旨の発言を残しており
奈良岡正夫の気持ちの良さが感じ取れます。
しかし戦時中になると、自画像を描きながらも
戦争記録画にも携わっています。
恐らく奈良岡正夫にとっては
不本意な行いだったと思いますが、
軍から捨てるように求められても
記録として残せるように隠してきたと、
そこには強い意志が感じられます。
戦争記録画について
戦争について記した画です。
戦地に赴いた父のいない家庭を描いた『銃後』など
どちらかと言うと間接的に描いている作品もありますが
基本的にここ日本においては
気持ちを高揚させる為に描かれています。
モノクロの記録映像よりも恐らく身近に、
またカラーであるため
より戦争について気分が高揚される媒体であった
と考えられ、1938年に定められた国家総動員法は
それを描かせるためにも機能しました。
独学で努力し戦争記録も描いた奈良岡正夫
奈良岡正夫は様々な師匠の下で学んだ
他の画家達と比べると、
独学による部分が多いと感じます。
しかしそれで奈良岡正夫の作品は
まるでそうは見えないくらいに、
しっかりした構図で作品を描いています。
また確かな描写力があるからこそ、
従軍画家になった点には複雑な部分があり
戦争によって培ってきたものが利用される事が、
今後とも起こらない世の中であって欲しいと願います。
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