日本画家の大山忠作は、
1922年に福島県で生まれました。
生家は染物業を営んでいたといいます。
幼児期に阿武隈川に囲まれた
自然環境で育った大山忠作は、18歳の頃に
東京美術学校日本画科に入学しました。
1944年の第31回院展に出品した
『三人』が入選を果たすと、第2回日展では
『O先生』が初入選し、以後日展では
落選せず入選を繰り返します。
そして、1947年には高山辰雄らと「一采社」に参加、
山口蓬春に師事します。
また同年、法隆寺金堂壁画の模写制作に
橋本明治とともに参加し、
その制作活動の幅を拡げていきました。
そして、30歳での出品となった第8回日展では
『池畔に立つ』が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞。
さらに、1955年には第11回日展で『海浜』が
特選・白寿賞を受賞、
1961年には日展会員になります。
その後、再度法隆寺金堂壁画の再現模写に従事し、
第十一号壁普賢菩薩を担当したほか
翌年には第11回日展に出品した『岡潔先生像』が
文部大臣賞を受賞しました。
50代の頃には日展の評議員や理事など要職を歴任し
成田山新勝寺光輪閣襖絵の『日月春秋』
28面の制作に取り掛かり、
60代になると同襖絵『杉・松・竹』22面を
完成させています。
これらの功績が認められ、日本芸術院会員や
日展会長、文化功労者などにも選定されたのち
2006年、大山忠作が84歳の時に
文化勲章を受章しました。
大山忠作は日展を主な舞台にして、写生を基軸に
人物画や花鳥、風景など様々なモチーフを基に
比較的柔らかな色調で、古典的な画風を
展開しました。
中でも大山忠作の代名詞として、
多くの鯉の大作を残しています。
自然の美しさや生き物への慈しみの完成を
繊細に表現しました。
大山忠作は、24歳で第2回日展に初出品し
初入選して以来、39歳で会員になるまで
一度も落選することなく
その確かな描写力を示し、日本画の重鎮として
日本画壇を牽引してきました。
その画技と日展においても理事長を務めるなど
芸術団体への貢献は高く評価されています。