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大久保利通(甲東)は1830年8月に鹿児島市で生まれました。“甲東”は雅号であり、父は下級の薩摩藩士の大久保次右衛門利世です。幼い頃から西郷隆盛らと共に学び、武術より読書や討論を得意としていました。
16歳の頃からは藩の記録所書役助として働き始めますが、20歳の頃に起きた薩摩藩内の騒動で、大久保利通(甲東)は父・大久保次右衛門利世と共に謹慎処分となっています。しかしその翌年に島津斉彬が藩主として務めるようになった事が起因し、1853年に再び出仕するようになり、流罪となっていた父も晴れてその翌年に罰が解かれました。
まもなく大久保利通(甲東)は島津斉彬に従う形で、古くから交流のある西郷隆盛と共に、尊王攘夷の主メンバーとして活動していきます。1858年には島津斉彬は息を引き取るのですが、実質的に新たな薩摩藩主となった島津久光に従う形で、公武合体運動を推し進めていくようになりました。
とは言え実際は1859年に脱藩を計画したのですが、島津久光やその父などの影響で中止し、誠忠組として公武合体の活動をしています。また島津久光の下で昇進を重ね、30代はじめには小納戸役となり、政務に関わる事となりました。
以降は西郷隆盛のほか、岩倉具視や木戸孝允とも連携して、倒幕の方向で推し進め廃藩置県や版籍奉還をしていきます。このように日本の構造を一新させ、富国強兵を進めたり、数々の争いも抑えますが、1878年、47歳の若さで暗殺されたことによって息を引き取りました。
大久保利通(甲東)は上記のような活動で、政権を江戸幕府から朝廷に換えた、王政復古に大きく貢献したのが特徴といえます。
また西郷隆盛や薩長連合の中心人物である木戸孝允と共に、維新の三傑の一人として数えられています。
対立関係となった朝鮮に対して、西郷隆盛らは乗り込んで戦うべきと言った意見(これを征韓論と言います)を持っていましたが、大久保利通(甲東)は反対し、それにより仲が決裂になったと言われています。
ちなみに西郷隆盛が起こした西南戦争では大久保利通(甲東)は対立し、破れた西郷隆盛は自害となりました。
代表的な書
1873年の『大久保利通書簡』では、西郷隆盛が朝鮮へ出向くことを大久保利通(甲東)が反対していたのにも関わらず、閣議で決定した事でその反対の意を参議の役目を降りると言う事で示す旨が現れています。
他には台湾出兵や対清交渉関係の資料など56冊分が発見されています。
■島津斉彬(しまづなりあきら)
1809年生まれの薩摩藩主です。早くから海外の文明に強い関心を示しており、それらの集大成として集成館があります。
■島津久光(しまづひさみつ)
1817年生まれの鹿児島藩主です。島津斉彬とは異母弟となり島津斉彬が息を引き取ると、国父の形で藩主となります。
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