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骨董品
2020/11/12

大久保一翁とは【経歴/功績/政治家/大久保忠寛】

大久保一翁の生い立ちは?

大久保一翁(おおくぼいちおう)1818年に江戸で生まれました。本名は大久保忠寛といい、号は一翁のほか石泉とも称しています。旗本であった父のもとに生まれ、青年期には徳川将軍の身辺雑務をこなす、小姓として仕えていました。

その後20代半ばの頃になると家督を継ぎ、1854年には老中の阿部正弘に認められ、目付兼海岸防御御用掛を務めます。そのほか蕃書調所頭取や外国貿易取調掛などの経験を経て欧米の文化に触れていき、ペリー来航を受けて開国に積極的に動く阿部正弘を補佐していきました。しかしながら、ペリー来航に対して国の存在感を守るが故に、厳しい処罰を与えてきた大老の井伊直弼(一連の動きを安政の大獄と言います)にとっては、開国に向けての動きをサポートする大久保一翁の存在は疎ましく、40代初めの頃に一時、職を解かれています。

まもなく1861年には、前年に井伊直弼が暗殺されたのもあってか、幕政の場に復帰。やがて明治維新の起こった1868年には江戸城の無血開城に奔走し、若年寄や会計総裁を務めました。

以降は徳川家の人達と静岡に移り住み1871年に静岡県参事を務め、翌年には東京府知事になるなどして、活躍していきます。晩年は旭日中綬章や旭日重光章を受章するなどその功績を認められ、1888年、息を引き取りました。

 

 

 

大久保一翁の活動の特徴は?

大久保一翁の活動の特徴は、松平慶永と共に大政奉還を真っ先に提案した所と言われています。

また江戸城無血開城にも関わっており、その際は徳川家側の会計総裁を務めました。維新後も徳川家と離れる事はなく、共に静岡に移住し最後の徳川家の旗本と言われています。

 

 

 

大久保一翁の関連書の価値は?

大久保一翁の関連書としては、勝海舟や中根雪江、松平春嶽に宛てたものが残されています。そのほか、趣味に和歌も嗜んでいたようです。

 

 

 

各ワード紹介

■阿部正弘(あべまさひろ)

1819年に東京で生まれ、江戸時代終盤に活躍した老中・藩主です。

1843年の25歳頃に老中となり、ペリーが訪れた際、日本が開かれた場所になるように整備し、また日米和親条約を結ぶため尽力しました。

 

■勝海舟(かつかいしゅう)

1823年に生まれた幕臣です。大久保一翁が目付け役を任ぜられた頃から交流を持ち、1863年に脱藩浪士をまとめたり、1868年には江戸城無血開城を成功させるなどして、山岡鉄舟や高橋泥舟と並び「幕末三舟」と称されました。

 

■中根雪江(なかねゆきえ)

1807年に生まれた福井藩の重臣です。徳川慶喜を盛りたて明治維新後は参与や内国事務局判事などを務めていました。

 

■松平春嶽(まつだいらしゅんがく)

1828年生まれの幕末の越前藩主です。殖産興業の立役者でもあり、ペリー来航時には対抗の立場を示していましたが、阿部正弘などと親交し考えを改めました。また、大老の井伊直弼の敵対する立場ともなっています。

 

 

 

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