1909年、彫金家の増田三男は埼玉県に生まれました。
その後20歳の時に東京美術学校(現東京芸術大学
)金工科彫金部に入学します。
ここでは清水亀蔵、海野清らに彫金の技術を学び
さらに同金工科彫金部研究科に進学しました。
在学中の1933年の第14回帝展では
『壁面燭台』が初入選を果たし、
卒業後は同校の資料館で国宝などの
文化財の模造制作に従事しています。
また、柳宗悦が主宰していた民芸運動にも関心があり
民芸絵論を研究していました。
この頃、増田三男は帝展や国画会工芸部の両方に
出品をしていましたが、1936年には
第11回国画会に出品した『筥』2点が
初入選を果たしています。
また、国画会の工芸部門を創設した
陶芸家の富本憲吉には図案などの指導を受け
生涯師と仰ぎました。
そして、1939年には第3回新文展で出品した
『銀鉄からたち文箱』が特選を受け
1942年の第17回国画会展で
『野草文水指』が国画奨励賞を受賞しています。
1944年には母校である浦和中学校の美術講師となり
30年以上の長きに渡って、
木工芸の授業で教鞭をとりました。
また、並行して制作活動も行い
1962年に第9回日本伝統工芸展初出品した
『金彩銀蝶文箱』が
東京都教育委員会賞を受賞したのを機に
作品の発表の場を日本伝統工芸展に移しています。
その後も1969年には日本伝統工芸展に出品した
『彫金雪装竹林水指』が朝日新聞社賞を受賞、
1990年には『金彩銀壺 山背』が
保持者選賞を受賞するなど、数々の賞を受賞しました。
これらの功績が認められ、翌年、82歳で
重要無形文化財の「彫金」保持者(人間国宝)
に認定されています。
以降も増田三男は生涯現役を貫き
晩年にも、自宅の庭に設けたアトリエで
制作活動に励んだと言われています。
増田三男の初期の作品の『壁面燭台』や
『煙草セット』などは、当時としては珍しい
鉄の廃材を使ったモダンな作品でした。
1940年台後半からは古文化財の模造で鍛えた
日本の自然をイメージした小作品を中心に制作し
箱や壺、水差などの作品を
銀、素銅、真鍮を素材に打ち出し、
成形で菟や鹿、蝶、梅、柳などの
身近な動植物をモチーフに制作しました。
蹴彫、切嵌、象嵌、布目象嵌などの技法を駆使して
生命感溢れる自然を季節感豊かに表現しています。
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