和田英作は1874年12月に鹿児島で生まれました。
やがて13歳の時には明治学院に入学し
上杉熊松から洋画について
教えを受けるようになります。
在学中には内国勧業博覧会で
日本人洋画家の作品を目にしたことをきっかけに
洋画の制作と学習に本格的に取り組むことを決意し、
1891年にはついに明治学院を辞め
洋画塾に移りました。
その後1894年には同じフランスで学んだ
日本の外光派の父と言うべき存在、
黒田清輝が立ち上げた天真道場に入門しています。
1900年にはフランスに渡り
アカデミー・コラロッシへ入学。
黒田清輝なども師事したラファエル・コランから
教えを受けました。
帰国後は展覧会への出品や
各展の評議員などを務めたことで名を広め、
東京駅の壁画制作なども行っています。
1932年には東京美術学校の校長となり
白馬会の立ち上げに加わると共に、
官設美術展において作品を出品。
官設美術展を代表する作家となりました。
そして1934年、60歳の時には帝室技芸員に任命され
1959年1月に息を引き取ります。
代表作には『野遊』や
『渡頭の夕暮』などがあります。
和田英作の作品は土台の整った写実表現と、
それでいて外光派の作風を取り入れた所に
特徴があります。
風景や生物、人物を事細かに描写し
リアリズムを代表する作家の一人として
数えられます。
また帝国劇場用の装飾壁画も制作しています。
・写実表現
見たものをそのまま描こうと言う作品を示します。
リアリズムやナチュラリズム 、
現実主義とも言われています。
・外光派
風景などのスケッチは外で、
着色は室内で行われていたのに対して、
着色も野外で行った作品として知られています。
自然光をそのまま作品に取り入れたい
と言う考えから来ており、
19世紀のフランスにて誕生。
また印象派とも呼ばれ
印象派は主観の交えない写実表現とは
対極の存在にあると言われており、
和田英作の作品が外光派的写実
と言われているのも
その所以と考えられます。