吉田芳夫(よしだよしお)
吉田芳夫は1912年2月に
東京都本郷区で生まれました。
なお父は、木の素朴さを活かしながらも
高い技術力が感じられ、迫力もある作風で知られている
吉田芳明として知られています。
また伯父の吉田白嶺も彫刻家をしているなど
その道を歩んでいる家系でもあります。
吉田芳夫は1936年に東京美術学校彫刻科塑像部を出ると
その二年後の1938年の第13回国画会展において
出品した『農婦木彫原型』が初入選
及びK氏賞を受賞。
またその翌年、1939年には東京美術学校の
彫刻科時代に知り合った柳原義達と組むなどして、
新制作派協会彫刻部を結成しました。
他には1976年の第40回新制作展で出展した
『白道』により、中原悌二郎賞を獲得しています。
そして1989年11月、77歳で息を引き取りました。
作風
吉田芳夫は具象(抽象とは反対の意味で
しっかりと形があること)彫刻として、
職人や芸術家と言った自己の心を見つめる人達の
塑像作品がよく知られています。
現実に則した目線で対象物の製作を行い
まるで人間そのもののような息遣いが感じられる
作品として作り上げています。
■新制作協会彫刻部として
吉田芳夫は伝統的とも言える彫刻の家系の中で
新制作協会彫刻部を立ち上げた事が
注目されているように思います。
新制作協会は他にも絵画や建築、
スペースデザインなどの分野がありますが
いずれも政治的配慮を無くし、
芸術として特化させる目的があります。
彫刻としてはオーギュスト・ロダンに代表される
近代彫刻を日本国内に打ち立て、
記念碑的なものになっていた彫刻の流れを否定し
作品を人間的な存在に近づけることを
吉田芳夫は意識していました。
関連用語の細かい解説
■柳原義達
吉田芳夫と同じように具象彫刻の作家であり
鴉の形をモチーフとした『道標』シリーズが
知られています。
また家系の伝統を否定するような立場を取っていた
吉田芳夫のように、柳原義達は学術的な彫刻の考えを
捨て去ることを目的としていました。
■中原悌二郎
オーギュスト・ロダンに感銘を受けた、
勇ましさのある作風が有名です。
当初はあまり良い評価がされていなかったものの
段々とその見方を良い方向に変え
亡くなって約半世紀となりますが1970年には
中原悌二郎賞が創られるなど功績を残します。
伝統的な家系の中で自身の方針を打ち立てた吉田芳夫
吉田芳夫は彫刻家の家系として育ちながらも
自身の方針を打ち立てた事で
後世にまで家系や名前が伝わるようになった
と考えられます。
また参加した者達には
しがらみを抜け出す意図があった
新制作協会での活動は
日本において新しいものを打ち立てる勇気を
後押しするものだったのかもしれません。