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2020.01.30
骨董品

吉田芳夫【彫刻家】

吉田芳夫(よしだよしお)

 

吉田芳夫は19122月に

 

東京都本郷区で生まれました。

 

なお父は、木の素朴さを活かしながらも

 

高い技術力が感じられ、迫力もある作風で知られている

 

吉田芳明として知られています。

 

また伯父の吉田白嶺も彫刻家をしているなど

 

その道を歩んでいる家系でもあります。

 

吉田芳夫は1936年に東京美術学校彫刻科塑像部を出ると

 

その二年後の1938年の第13回国画会展において

 

出品した『農婦木彫原型』が初入選

 

及びK氏賞を受賞。

 

またその翌年、1939年には東京美術学校の

 

彫刻科時代に知り合った柳原義達と組むなどして、

 

新制作派協会彫刻部を結成しました。

 

他には1976年の第40回新制作展で出展した

 

『白道』により、中原悌二郎賞を獲得しています。

 

そして198911月、77歳で息を引き取りました。

 

 

 

作風

 

吉田芳夫は具象(抽象とは反対の意味で

 

しっかりと形があること)彫刻として、

 

職人や芸術家と言った自己の心を見つめる人達の

 

塑像作品がよく知られています。

 

現実に則した目線で対象物の製作を行い

 

まるで人間そのもののような息遣いが感じられる

 

作品として作り上げています。

 

■新制作協会彫刻部として

 

吉田芳夫は伝統的とも言える彫刻の家系の中で

 

新制作協会彫刻部を立ち上げた事が

 

注目されているように思います。

 

新制作協会は他にも絵画や建築、

 

スペースデザインなどの分野がありますが

 

いずれも政治的配慮を無くし、

 

芸術として特化させる目的があります。

 

彫刻としてはオーギュスト・ロダンに代表される

 

近代彫刻を日本国内に打ち立て、

 

記念碑的なものになっていた彫刻の流れを否定し

 

作品を人間的な存在に近づけることを

 

吉田芳夫は意識していました。

 

 

 

関連用語の細かい解説

 

■柳原義達

 

吉田芳夫と同じように具象彫刻の作家であり

 

鴉の形をモチーフとした『道標』シリーズが

 

知られています。

 

また家系の伝統を否定するような立場を取っていた

 

吉田芳夫のように、柳原義達は学術的な彫刻の考えを

 

捨て去ることを目的としていました。

 

■中原悌二郎

 

オーギュスト・ロダンに感銘を受けた、

 

勇ましさのある作風が有名です。

 

当初はあまり良い評価がされていなかったものの

 

段々とその見方を良い方向に変え

 

亡くなって約半世紀となりますが1970年には

 

中原悌二郎賞が創られるなど功績を残します。

 

 

 

伝統的な家系の中で自身の方針を打ち立てた吉田芳夫

 

吉田芳夫は彫刻家の家系として育ちながらも

 

自身の方針を打ち立てた事で

 

後世にまで家系や名前が伝わるようになった

 

と考えられます。

 

また参加した者達には

 

しがらみを抜け出す意図があった

 

新制作協会での活動は

 

日本において新しいものを打ち立てる勇気を

 

後押しするものだったのかもしれません。