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掛け軸・絵画
2020/08/21

吉川霊華【日本画家/東京都/金鈴社】

吉川霊華(きっかわれいか)

吉川霊華は1875年に東京都湯島で生まれました。なお本名は準と言い、父親は江戸幕府にて儒学者として活躍した吉川淡斎です。

その後、浮世絵師で江戸の風俗画や婦人風俗画を描いていた橋本周延に弟子入りし、明治美術会の設立に加わった小山正太からも学んだり、そのほか少年時代に狩野良信から狩野派を。さらに土佐派の画家・山名貫義からも教わりました。また、幕末時代に復古大和絵派の冷泉為恭からも多く学んでいることも、吉川霊華の経歴では語られやすい重要な部分といえるでしょう。但しこれらについては、多くの人から学んだのは師弟関係が上手くいかなかったことが多々あったから、と言う記述が残されています。

 

やがて20歳になる頃には、平安時代からの貴族達のしきたり等に関する知識を意味する有職故実を、それについて深く学んでいた松原佐久から教わりました。20代後半の頃は歴史風俗画会に加わり、烏合会にも参加。また1916年には金鈴社を立ち上げると言ったように、個人の出品ではなく団体での活動が目立つ時期が続いたとも言え、この活動は、より画家としての立場を強固なものにして行きます。そのため約7年後に同社が解散したのちも、支援者からの依頼や、官展の審査員を任されるなどしました。

そして1929年、息を引き取っています。

 

 

吉川霊華の作品の特徴は?

吉川霊華は平安時代からの流派の大和絵をベースとしながらも、上記のような多くの師から学んだ日本美術の技法、さらに有職故実や国の歴史にも学んでいることで、新しい大和絵を見せていると言った評価がまずなされています。

但し本人としては、細い美しい線描を描くことを重視していたという指摘もなされています。

 

 

吉川霊華の作品はどうして評価されているのか?

こう言った吉川霊華の作品の評価部分は、画家が線描から塗りに移行した時代に逆行するように、線描に重きを置いた作品作りを行ったからというのも背景としてあるのです。頑なまでにその道を突き通したとも言われていますが、数多の作品を発表と言うより、こだわった少数の作品を発表すると言った希少性も、話題を呼びました。

なお伝統を現代的な相応しい考えを合わせた上で再現する、と言った試みも行ってきました。

 

代表作

 

1911年の第5回文部省美術展覧会で褒状となった『菩提達磨』。

1926年の第7回帝国美術院展覧会で発表の『離騒』(個人が所蔵)などがあります。

ちなみに『離騒』は『幻の代表作』という言われもあったりします。

 

 

各ワード紹介

■金鈴社

1916年に平福百穂や鏑木清方達と共に立ち上げました。評価を気にしない作品発表の場として機能し、それは吉川霊華が線描を極めるための期間となりました。なお金鈴社としての作品発表は毎年行いながらも、帝国美術院展覧会と言った日本美術の代表的な団体とは付き合いを置いていた記述も有ります。

 

■烏合会

1903年に大野静方や鏑木清方、鰭崎英朋と共に立ち上げました。国主体の美術審査に疑問があるとして数多くの美術団体が結成されていきましたが、反対に賛成する団体もあり、烏合会はそういった団体の1つとなっています。

 

 

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