古賀春江(こがはるえ)
古賀春江(本名:亀雄)は1895年6月に、
福岡県久留米市で生まれます。
また父は浄土宗善福寺の住職である
古賀正順として知られており、春江の名前も
20歳の時に僧侶として身を置く時に付けられました。
1912年に太平洋画会研究所へ入り、
また翌年には日本水彩画研究所でも学び、
その際は明瞭な写実主義で知られている
石井柏亭から学んでいます。
1915年に僧侶として身を置き
大正大学においても仏教を学びました。
翌年には日本水彩画会会員となり
また1917年には第4回二科展において入選を獲得。
この辺りになると画家としての道に集中し
1922年に『埋葬』にて二科賞を受賞しています。
この作品は、自身の子供が死産となった経験が
元になっています。
なお同年には若手作家達による
芸術家集団アクションにも所属し、
やがて1933年9月、38歳の若さで息を引き取りました。
作風
古賀春江の作品はとにかく内向的と言われています。
内向的ながら芸術家集団アクションでの所属もあって
未来派や表現主義、構成主義など
ヨーロッパの主流の主義を作品内で採用し
情感性とファンタジック的な雰囲気があります。
こう言った変化を求める作風から
『カメレオンの変貌』とも言い表されています。
ちなみに詩も発表しています。
関連用語の細かい解説
■未来派
1910年代のイタリアで勃発した運動です。
昔から引き継がれている芸術や社会を拒否する
と言った内容で、その為には美術館や図書館を
壊すことも辞さないと言ったものになっています。
その時代にあったスピード感を大切にする
と言う目的もあります。
■表現主義
自身の心の内側を表現することに注視したものです。
その為には写実的なのものや、客観性も無視する
と言った試みもされています。
■構成主義
幾何学的模様を組み合わせた作品表現です。
デザインや工業製品など立体感のあるものとして
よく表現されています。
シュールレアリスムとして確立された古賀春江
古賀春江は古くからある仏教の家から出て
また未来派や表現主義と言った新しいものを
画家として取り入れてきたと言う経験は、
何かしらプラスの事として捉えてきたと思います。
死産も経験しながら、一時期は明るいテイストを
心がけようとしたようですが、
のちにシュールレアリスムとして
作風は確立されてきました。
古賀春江の人生観をより学ぶと
作品にその分面白さを
感じられるようになるかもしれません。