南薫造は1883年7月に医者の息子として
広島県内海町で生まれした。
19歳のときに東京美術学校西洋画科に入学し、
そこで女性をモチーフにした作品を得意とする
洋画家の岡田三郎助から教えを受けます。
1907年に卒業する同時にイギリスに渡り、
ボロー・ジョンソンに教えを受け、
ラファエル前派の文化に触れ、
氏の作品にも影響されていきました。
また2年後、26歳のときに就学を終えると
欧州各地を旅するようになります。
日本に帰った後には白樺社によって開かれた
「南薫造、有島壬生馬滞欧記念絵画展」によって
水彩画のような淡いタッチで描いた油絵の作品
「少女」が話題となりました。
その後文部省美術展覧会で次々と作品を出展し
1913年には石井伯亭や白滝達と共に
日本水彩画会を結成、及び代表になります。
このような功績が認められ、1944年、61歳のときに
帝室技芸員となりました。
南薫造の作品の特徴としては、日本の原風景や
家庭を柔和な色使いで描いている所にある
と言われています。
また斬新と言うより誠実に描いており、
活動終盤は故郷の瀬戸内海の作品を作り続けました。
とは言え戦時中は新中国精鋭を閲兵する
汪主席と言った戦争絵を描いていたりしたので
時代の移り変わりも感じさせます、
なお水彩画や油絵、版画などで作品を残しています。
ロイヤル・アカデミー付属美術学校所属の
画家3人が初期メンバーとなって立ち上げた、
秘密結社的な活動をしている団体が元になっています。
その為もあってか自由奔放な活動・及び展開内容に
注目が集まりがちです。とは言え手堅くまとまった、
戸外での制作を中心とした事により、自然光を
事細かに描写した作品も数多く発表しています。
南薫造が死去した後、氏の家族が離れ
その機能として失っていたのを、
歴史民俗資料館として復元しました。
そこには南薫造の作品が展示されていたり
使用していた道具があるだけでなく、
当時の家庭の雰囲気も感じられるようになっています。
それらを通して、南薫造の生きた証を
体感することが出来ます。