北村西望は、1884年に長崎県で生まれました。
19歳のときに京都市美術工芸学校彫刻科に入学、
首席で卒業しています。
さらに同年、東京美術学校彫刻科に入学し
同校も首席で卒業しました。
その間に彫刻家の建畠大夢、朝倉文夫らと出会っています。
在学中の1908年には第2回文展に
「慎闘」を出品し初入選を果たすと、
第3回文展では「雄風」、1911年第5回文展では
「壮者」が次々と褒状を受けました。
その後も、31歳のときの第9回文展では
「怒涛」が二等賞、
翌年第10回文展では「晩鐘」が特選を受賞します。
また、帝展では第1回展から審査員を務めて
40歳の若さで帝国美術院会員になりました。
そのほか1919年に「曠原社」を設立、
1922年には「西ヶ原彫刻研究所」を開設し
1933年には東邦彫塑院の顧問となっています。
やがて37歳のときから
東京美術学校教授として教鞭を執り、
それから約20年間、長期に渡って
後進の育成に力を注ぎました。
これらの功績から1958年、74歳のときに
文化勲章を受章しています。
北村西望は、戦前は「児玉源太郎大将騎馬像」や
「山県有朋元帥騎馬像」など、勇壮で逞しい、
戦意高揚を意図した男性像の作品を制作していました。
しかし戦後は平和や自由、宗教などをモチーフに
作品を制作しています。
代表作には青銅製10メートル弱の巨大男像
「平和祈念像」があり、
この作品は4年越しで完成させました。
この像は北村西望が考案した、粘土を使用せずに
像を作る「石膏直付法」で作られています。
この他にも広島市民への「飛躍」など
多数の平和祈念像を制作しましたが、
その制作意欲は衰えず
100歳を過ぎても制作し続けました。
北村西望の創作活動は80年以上にも渡ります。
その作品の制作数は600点にも及び、
たゆまない創作精神は孤高の存在として屹立しています。
日本彫刻会では、北村西望の功績を称え
同会展覧会における最優秀作品に贈る賞の名称を
「北村西望賞」と名付けています。
また、個人寄付による「北村西望賞基金」を設立して
小中学校生の教育美術振興に貢献され、
後に「北村西望賞教育美術展」として
公募の形式で継続しています。