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2019.08.02
骨董品

北川民次【洋画家】

北川民次(きたがわたみじ)

 

北川民次は1894年1月に静岡県で生まれました。

 

16歳の時に静岡商業学校を出ると

 

早稲田大学へ入りますが、その3年後に中退します。

 

その後ニューヨークにて

 

劇場用の舞台背景作りに携わりながら、

 

代表作『夜明けが来る』や

 

アメリカ芸術家組合の初代会長となる国吉康雄。

 

洒落た目線で人々の生活を描く清水登之などがいる、

 

アート・ステューデンツ・リーグにて

 

基礎的な能力を付けていきました。

 

そしてアメリカ南部やキューバを挟んで

 

29歳の時にメキシコに移り、その3年後に

 

サン・カルロス美術学校へ入学。

 

そこではメキシコを代表する画家の

 

ホセ・クレメンテ・オロスコや、

 

鮮やかで奇抜なタッチのディエゴ・リベラなどの

 

メキシコ壁画運動を行う画家達と知り合います。

 

なお野外美術学校での指導や児童画教育に

 

10年間ほど携わるなど、学生生活以外にも

 

メキシコと深い繋りも持ちました。

 

 

 

■「画壇のアウトサイダー」と呼ばれた作風

 

北川民次の作品の特徴は

 

まさにメキシコに強く根付いた所にあります。

 

日本人離れしたそのタッチは異質であり

 

簡易的に描きながらも活動初期は太い線で、

 

活動後半はキュビズムを取り入れた

 

柔和なタッチへと変化しています。

 

作品は一貫してインパクトがありながらも

 

描いているテーマは人々や日々の勤務の姿、虫など

 

決して派手さはないものばかりなのも特徴の一つで

 

現地やヨーロッパエリアで強く支持されました。

 

また1936年に日本に帰った後は二科展で活躍し

 

「画壇のアウトサイダー」と言う風にも言われます。

 

なお描いた作品の題材はメキシコだけでなく

 

第二次世界大戦の影響もあり

 

故郷の瀬戸をテーマにした作品も描き続けています。

 

 

 

■キュビズムについて

 

1907年にピカソとジョルジュ・ブラックを発端に

 

パリで始まった美術運動の事です。

 

立体派とも呼ばれています。

 

キュビズムは写実的に描くことをしませんが

 

それは写真機が登場したのでする必然性が

 

無くなったからだと言われています。

 

キュビズムでは複数の視点を

 

一つの絵で収める事を意義としており

 

それは写真機では難しい表現とも言えます。

 

 

 

■アウトサイダーアートとは?

 

アウトサイダー自体の意味は

 

「社会の枠組みから外れた考えを持つ人」であり

 

それが転じて「独学者」など

 

今までの芸術と言う枠組みから外れた芸術と言う事で

 

アウサイダーアートと呼ばれています。

 

北川民次の場合アート・ステューデンツ・リーグで

 

教育を受けてきたことを考えると

 

決してアウトサイダーアートでもなく、

 

アウトサイダーアートと言う視点は

 

日本の芸術観点から見た場合、とにかく作風が

 

異質に見えたからと言えそうです。

 

 

 

■メキシコと日本を繋げた北川民次

 

早稲田大学を中退したのは

 

引け目があったかもしれませんが、その後の経験が

 

大いに洋画家として活きた北川民次。

 

また氏はメキシコのみならず、

 

日本でも児童美術研究所を創ると言った

 

児童美術教育も行っています。

 

北川民次は故郷とメキシコで、作品制作のみならず

 

教育の面でも大きく貢献したと言えます。