北川民次は1894年1月に静岡県で生まれました。
16歳の時に静岡商業学校を出ると
早稲田大学へ入りますが、その3年後に中退します。
その後ニューヨークにて
劇場用の舞台背景作りに携わりながら、
代表作『夜明けが来る』や
アメリカ芸術家組合の初代会長となる国吉康雄。
洒落た目線で人々の生活を描く清水登之などがいる、
アート・ステューデンツ・リーグにて
基礎的な能力を付けていきました。
そしてアメリカ南部やキューバを挟んで
29歳の時にメキシコに移り、その3年後に
サン・カルロス美術学校へ入学。
そこではメキシコを代表する画家の
ホセ・クレメンテ・オロスコや、
鮮やかで奇抜なタッチのディエゴ・リベラなどの
メキシコ壁画運動を行う画家達と知り合います。
なお野外美術学校での指導や児童画教育に
10年間ほど携わるなど、学生生活以外にも
メキシコと深い繋りも持ちました。
北川民次の作品の特徴は
まさにメキシコに強く根付いた所にあります。
日本人離れしたそのタッチは異質であり
簡易的に描きながらも活動初期は太い線で、
活動後半はキュビズムを取り入れた
柔和なタッチへと変化しています。
作品は一貫してインパクトがありながらも
描いているテーマは人々や日々の勤務の姿、虫など
決して派手さはないものばかりなのも特徴の一つで
現地やヨーロッパエリアで強く支持されました。
また1936年に日本に帰った後は二科展で活躍し
「画壇のアウトサイダー」と言う風にも言われます。
なお描いた作品の題材はメキシコだけでなく
第二次世界大戦の影響もあり
故郷の瀬戸をテーマにした作品も描き続けています。
1907年にピカソとジョルジュ・ブラックを発端に
パリで始まった美術運動の事です。
立体派とも呼ばれています。
キュビズムは写実的に描くことをしませんが
それは写真機が登場したのでする必然性が
無くなったからだと言われています。
キュビズムでは複数の視点を
一つの絵で収める事を意義としており
それは写真機では難しい表現とも言えます。
アウトサイダー自体の意味は
「社会の枠組みから外れた考えを持つ人」であり
それが転じて「独学者」など
今までの芸術と言う枠組みから外れた芸術と言う事で
アウサイダーアートと呼ばれています。
北川民次の場合アート・ステューデンツ・リーグで
教育を受けてきたことを考えると
決してアウトサイダーアートでもなく、
アウトサイダーアートと言う視点は
日本の芸術観点から見た場合、とにかく作風が
異質に見えたからと言えそうです。
早稲田大学を中退したのは
引け目があったかもしれませんが、その後の経験が
大いに洋画家として活きた北川民次。
また氏はメキシコのみならず、
日本でも児童美術研究所を創ると言った
児童美術教育も行っています。
北川民次は故郷とメキシコで、作品制作のみならず
教育の面でも大きく貢献したと言えます。