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2020.09.03
骨董品

勝海舟【幕臣/東京都/幕末の三舟/書】

勝海舟の生い立ちとは?

勝海舟は1823年1月に生まれました。なお父は江戸時代後半の武士で旗本でもある勝惟寅ですが、経済的に苦しく貧しい生活を送っていきます。そういった環境の中で剣について励み、やがて師範代を務めるようにもなった勝海舟ですが、一方で外国からの脅威に不安の高まる日本において、オランダの蘭学は将来重要な役割を持つと考えました。そこで当時高くて借りることしか出来なかった蘭和辞書を手書きで書き写すなどして勉学にも励んでいきます。自身の勉学の分と売る分の2つで作り、20代後半になる頃には私塾の蘭学塾を開設しました。なおそこでは兵学についても教えています。

 

その後1853年にマシュー・ペリーが日本に訪れた際、勝海舟は国防に関する意見をまとめた「海防意見書」を幕府に向けて提出。意見書を幕府海防を務める大久保忠寛などに注目された事で働けるようになり、30代前半の頃には長崎海軍伝習所の生徒となりました。まもなく1860年には軍艦・咸臨丸の艦長として就任し、アメリカに渡り様々な事を修学。帰国して3年後には脱藩浪士の指導的立場となり、1868年に西郷隆盛との話し合いによって、江戸城攻撃を中止とさせた無血開城を実現しています。

明治維新以降も政治について励み、晩年は国からの依頼で海軍や陸軍の歴史などについてまとめた書物を執筆しました。そして1899年1月、77歳で息を引き取っています。

 

 

勝海舟の功績の特徴は?

勝海舟は山岡鉄舟や高橋泥舟と並んで“幕末三舟”と呼ばれています。

その理由の背景は様々ですが、勝海舟の場合は前述のようにペリー来航により危機を迎える日本を支えた事。

また坂本龍馬などの脱藩浪士を、指導的立場から教育した事も勝海舟の功績の一つです。

 

 

勝海舟の著作物の傾向は?

勝海舟は様々な著作物を残していますが、それらは明治維新後から目立っています。

旧幕府の重要係として機能し、政府一新となる明治維新からは元老院議官や枢密院顧問官ともなっていますが、今までの政府についてまとめた著作物を制作するようになっているのです。

 

代表作

 

『海軍歴史』や『外交余勢』、『まがきのいばら』などがあります。

 

 

各ワード紹介

■ペリー来航

元々はアメリカが清時代の中国との貿易や捕鯨のため、その目的のための豊富な資源が日本にあるとして捉えたのがきっかけです。

アメリカ海軍のペリーは、空砲などで日本に強い威圧を示した事で、危機感を覚えた日本がその要求を呑む事となりました。

 

■海防意見書

ペリー来航を受けて、勝海舟が幕府に提出したものです。これが老中の目に泊り、勝海舟は幕府による政策に携わるようになっていきました。

しかしこの意見書は決して勝海舟一人の考えを提出したのではなく、経済面で支えた竹川竹斎や島津斉淋などの意見をまとめたと言う側面もあります。