加藤栄三は1906年8月に、岐阜市美殿町で生まれました。なお日本画家の加藤東一は実の弟となります。
加藤栄三は17歳で商業学校を出た3年後、東京美術学校日本画科に入学。在学中には1929年の第10回帝国美術院展覧会に作品を出品し、『夏日小景』が初入選となりました。また25歳で東京美術学校日本画科を卒業すると、同時に結城素明に師事。その後1939年に新文部省美術展覧会において『月夜』が特選を獲得しています。40代になると創造美術の設立に関わりますがその3年後には脱退し、以降は自身の制作活動を進め『篝火』を出品するなど日本美術展覧会を再び活動の場としていきました。1956年以降からは長良川で行われている鵜飼を精力的に観察し、この風景は作品にも主題として多く取り上げています。
また1958年に社団法人日本美術展覧会が立ち上がると評議員となり、63歳となった頃には日本美術展覧会の理事に就任しました。
そして1972年5月、自ら命を絶っています。
風景画や花鳥画の作品が多くを占める点。そしてその作品の中には写実性があると同時に、自身の感性を乗せている所があると言われています。
また加藤東一と共に、故郷にある金華山と長良川を愛し、作品としても多く発表しています。
弟と一緒に語られる
加藤栄三は弟の加藤東一と共によく語られています。加藤東一は上京の際、加藤栄三をあてにしたとも言われていますし、また加藤東一が『風神』と言う作品を発表したのは、加藤栄三がそれ以前に作成した『雷神』と対にするためでした。このことから兄弟で古典に新しいアプローチを試みたと言う評価もあります。
なお故郷岐阜には、加藤栄三・東一記念美術館があります。
推測される自害の理由
加藤栄三が自ら命を断った理由は、スランプと言う事で当時の新聞には掲載されたようです。しかし実際は芸術院会員の人間関係が上手くいかなかったのでは?と現在でも言われています。
代表作
『雨後』と『鵜飼(総がらみ)』などは加藤栄三・東一記念美術館が所蔵しています。
■結城素明
1875年に東京にて生まれました。東京美術学校で日本画と洋画の基礎を培い、日本画の中に洋画の写実性を取り込んだことで評判を獲得しました。无声会を立ち上げ、自然主義を掲げたことでも知られています。
■日本美術展覧会
日展という略称も持ちます。1946年に文部省美術展覧会を元に立ち上がり、1958年から社団法人化されました。なお文部省美術展覧会は、国内の日本画の画壇と洋画の画壇の衝突を解決させるために立ち上がったと言われています。