加藤唐九郎は1897年7月に愛知県で生まれます。
その後17歳から父の窯である丸窯で
陶芸を開始しました。
やがて1948年には芸術陶磁器認定委員会において
中央委員兼事務局長を務めたり、
その2年後には日本陶磁器協会を立てるなどして
陶磁器に深く関わった人物として知られています。
このような要職を歴任した背景には
陶磁器の研究をしたり、
瀬戸やその周りの古窯発掘や調査。
織部や黄瀬戸、志野などの陶磁器を
現代に蘇らせたり、また自身もオリジナルの作品を
作っていた事が挙げられます。
そして1952年、55歳の時には
織部焼の技術が認められ、一時的ではありましたが
人間国宝となりました。
代表作としては絵唐津茶碗共箱、
志野茶碗共箱などがあります。
安土・桃山時代から江戸時代序盤にかけて
一気に隆盛を見せた美濃焼です。
それまでの美濃焼としてはなかったような
奇抜な形、多種多様な色合いなどは
当時の人の心に大きく印象に残った
と言われています。
また織部焼の見た目は千差万別ですが、
緑色の文様があると言う共通点があります。
志野焼とも似ていますが、
表面に簡易的な絵が描かれているのも
織部焼の特色の一つです。
織部焼の一つとして数えられます。
ただ織部焼とは違い大柄の器に
白く半透明の長石釉をふんだんに掛けて焼いている
と言ったように、織部焼の派生型とも言えます。
また簡易的な絵のある絵志野や
酸化鉄をかけた鼠志野など、
志野焼も細かく分類されます。
室町時代終盤から桃山時代に隆盛を見せた
美濃焼の一つです。
温かみのある黄色の釉が使用されており、
菊皿手やぐいのみ手、あやめ手の
3つに分類されます。
加藤唐九郎は前述の通り1952年に織部焼により
無形文化財保持者となりましたが、
しかし、1960年に起こった永仁の壷事件によって
日本陶磁協会や日本工芸会での務めを辞めています。
永仁の壷事件は贋作騒動なのですが、
当時スキャンダルとして
世の中で騒がれていたような印象を受けます。
しかし加藤唐九郎の残した功績は、
陶芸の世界を語るに欠かせないものの一つですし
事件の起こった同年に
亡くなっているのが残念ですが
その腕は大変優れたものであったと
よく知られています。
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