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骨董品
2019/06/14

加藤唐九郎【工芸作家/陶芸】

加藤唐九郎(かとうとうくろう)

 

加藤唐九郎は1897年7月に愛知県で生まれます。

 

その後17歳から父の窯である丸窯で

 

陶芸を開始しました。

 

やがて1948年には芸術陶磁器認定委員会において

 

中央委員兼事務局長を務めたり、

 

その2年後には日本陶磁器協会を立てるなどして

 

陶磁器に深く関わった人物として知られています。

 

このような要職を歴任した背景には

 

陶磁器の研究をしたり、

 

瀬戸やその周りの古窯発掘や調査。

 

織部や黄瀬戸、志野などの陶磁器を

 

現代に蘇らせたり、また自身もオリジナルの作品を

 

作っていた事が挙げられます。

 

そして1952年、55歳の時には

 

織部焼の技術が認められ、一時的ではありましたが

 

人間国宝となりました。

 

代表作としては絵唐津茶碗共箱、

 

志野茶碗共箱などがあります。

 

 

 

■織部焼について

 

安土・桃山時代から江戸時代序盤にかけて

 

一気に隆盛を見せた美濃焼です。

 

それまでの美濃焼としてはなかったような

 

奇抜な形、多種多様な色合いなどは

 

当時の人の心に大きく印象に残った

 

と言われています。

 

また織部焼の見た目は千差万別ですが、

 

緑色の文様があると言う共通点があります。

 

志野焼とも似ていますが、

 

表面に簡易的な絵が描かれているのも

 

織部焼の特色の一つです。

 

 

 

■志野焼

 

織部焼の一つとして数えられます。

 

ただ織部焼とは違い大柄の器に

 

白く半透明の長石釉をふんだんに掛けて焼いている

 

と言ったように、織部焼の派生型とも言えます。

 

また簡易的な絵のある絵志野や

 

酸化鉄をかけた鼠志野など、

 

志野焼も細かく分類されます。

 

 

 

■黄瀬戸

 

室町時代終盤から桃山時代に隆盛を見せた

 

美濃焼の一つです。

 

温かみのある黄色の釉が使用されており、

 

菊皿手やぐいのみ手、あやめ手の

 

3つに分類されます。

 

 

 

加藤唐九郎が残した功績

 

加藤唐九郎は前述の通り1952年に織部焼により

 

無形文化財保持者となりましたが、

 

しかし、1960年に起こった永仁の壷事件によって

 

日本陶磁協会や日本工芸会での務めを辞めています。

 

永仁の壷事件は贋作騒動なのですが、

 

当時スキャンダルとして

 

世の中で騒がれていたような印象を受けます。

 

しかし加藤唐九郎の残した功績は、

 

陶芸の世界を語るに欠かせないものの一つですし

 

事件の起こった同年に

 

亡くなっているのが残念ですが

 

その腕は大変優れたものであったと

 

よく知られています。

 

 

 

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