加山又造は、1927年に京都市上京区に
西陣織の衣装図案家の家の長男として生まれました。
祖父は京狩野派の絵師でした。
17歳の時に京都市立美術工芸学校絵画科を卒業し
東京美術学校日本画科に進学すると、卒業後に
日本画家の山本丘人に師事します。
そして、山本丘人らが創設した研究会に所属し
1950年には創造美術展に『自画像』、
『動物園』を出品し初入選、
研究会賞を受賞しました。
翌年には第15回新制作展で観た
「ライフ誌」のラスコー洞窟の壁画に啓発されて
制作した『原始時代』が新作家賞を獲得し、
同会の会友になります。
そして、第17回展では『月と犀』他、
第18回展では『悲しき鹿』、『迷える鹿』、
第19回展では『駈ける』が連続で
新作家賞を受賞し
1956年には同会の会員になりました。
この頃の加山又造の作風は、
動物をモチーフにしたシュルレアリスムや
未来派などヨーロッパの造形手法を
積極的に取り入れた革新的なもので、
戦後日本画作家として注目を浴びていきます。
そして、31歳の頃には
第2回グッケンハイム賞国際美術展に
『飛翔』を出品し、山口長男、川端実らと共に
団体賞を受賞しました。
1959年には石本正、横山操らと
轟会を結成します。
以降、1961年に第25回新制作展に
『火の鳥』などを発表し、その作風は
大画面の作画を中心にした
装飾的な作風に移行していきます。
また1960年代からは大和絵や琳派、
水墨画から影響を受け、
さらにはエアガン噴射機など
最新の描写機器を使った作品を発表したことで
よりその名を広めていきました。
そして1997年に文化功労者として認められ
2003年、76歳の時には
文化勲章を受章しています。
加山又造の作品は、初期は動物画の連作や
風景画、琳派の影響を受けた装飾画、裸婦連作画、
そして水墨画の世界へと移行していきました。
型にはまらず常に斬新な技法で
日本画壇で革新的な作品を発表し続けました。
また、版画や銅版画、リトグラフなどの作品も
多く残しています。
加山又造は、日本画家として
ただ伝統的な日本画の枠だけに収まらず、
様々な技法を駆使して多彩な表現方法で
革新的な作品を発表し続け
高い評価を受けました。
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