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骨董品
2020/09/17

副島種臣【政治家/佐賀県/書/蒼海/一々学人】

副島種臣の生い立ちは?

副島種臣(そえじまたねおみ)は1828年10月に佐賀市鬼丸町で生まれました。なお父親は佐賀藩士であり国学者でもある、枝吉南濠として知られています。幼い頃に藩校・弘道館に入り、また兄の枝吉神陽は、弘道館内で指導を務めていました。よって副島種臣はそれよりも劣ると自身では感じる、自分の価値観について悩んでいたと言われています。しかしそれを跳ね除け、弘道館内で首席となります。

その後20代になると枝吉神陽が1850年に立ち上げた義祭同盟に江藤新平や大隈重信、大木喬任などと共に参加。なお1859年に父が亡くなった後には、同じ佐賀藩士である副島利忠の養子となりました。続けて2年後には兄も亡くなりますが、副島種臣は弘道館の教壇に立ち、以降も門下生の指導に尽力していきます。また1865年には、長崎にて始まった藩校致遠舘内にて、アメリカの宣教師であるグイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベックから洋学について学ぶなど、後進の指導にあたりながらも自身も積極的に学ぶ姿勢をとっていました。

 

やがて副島種臣が40代手前になる頃には、大政奉還の為に大隈重信と脱藩となりましたが、捕まえられ一時は謹慎となってます。とは言え翌年の1868年に起こった明治維新からは政府内で働けるようになり、明治政府の組織法である政体書を福岡孝弟と共に提案。1869年には参議となり1871年には外務卿として務め、また樺太やマリア・ルーズ号問題解決に向けて支援しました。以降も政府内で高い役職を務めあげ、1905年1月、76歳で息を引き取っています。

 

 

 

副島種臣の作品の特徴は?

副島種臣が書による作品を出すのは、人生の活動終盤期となります。

書体家としては大胆かつ個性もある楷書で、まるで絵画のようでもあり、純粋に書風としても完成されているとみられています。

なおその際は作家名を蒼海、もしくは一々学人などとしています。

 

 

 

副島種臣の他の評価部分は?

書道家としても十分に名を挙げており、書道雑誌や展覧会の為の書籍も、副島種臣を取り上げているならすぐに売れると言った評判も残されています。ちなみに近代書の巨人とも呼ばれているのです。

 

代表作

 

丸文字がユニークで勢いも感じられる『帰雲飛雨』(佐賀県立美術館が所蔵)

詩が富士山の絵と共に書かれた『富士山画詠額』(佐賀県立美術館が所蔵)などがあります。

 

 

 

ワード紹介

■義祭同盟

1850年に勤皇の為に設けられた団体です。天皇を敬う尊皇論を広める機能を果たしていました。他のメンバーには島義勇や江藤新平などがいます。なお副島種臣も尊皇攘夷を掲げていたのですが、それは父と兄の影響に依るものと言われています。

 

 

 

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