初代の伊東陶山は1846年に生まれました。
氏は青蓮院や刀工粟田口派などで知られる、
京都の三条粟田口出身の伊東善輔の
長男として育ちますが、自身は12歳の時に
円山派である画家の小泉東岳から絵を学びました。
小泉東岳は画家としてだけでは
食べていけなかった為に
陶業作業も行っていたため
初代・伊東陶山はその補助をする中で、
陶業に興味を持つようになります。
やがて17歳のときには
五条坂の陶工家の亀屋旭亭から製陶の教えを受け、
約4年後、大政奉還も行われた1867年
粟田にて独立を果たしました。
そして1917年、71歳のときに
帝室技芸員に任命されています。
初代・伊東陶山が帝室技芸員になった理由としては
宇治の朝日焼の復興による所がある
と言われています。
また膳所焼や粟田焼などの再興も、
初代・伊東陶山について語るものとして
欠かせません。
宇治の朝日焼は慶長から400年以上の歴史がある
と言われており、遠州七窯の一つとして
取り上げられています。
茶碗や茶入と言った茶器が多く作られていますが、
元々は明治時代の陶工である
松林長兵衛との共同作業で
復興したものでもあります。
また膳所焼も遠州七窯の一つであり、
養子にあたる二代目・伊東陶山と共に
再興してきました。
そして粟田焼は
京都の粟田口を代表する焼き物として知られ、
粟田焼による作品作りは
二代目・伊東陶山の長男にあたる、
三代目の伊東陶山が引き継いでいく事になります。
このように復興を通して
他の代にバトンを繋いでいったのが、
初代・伊東陶山の特徴であるとも言えます。
■遠州七窯
近江小室藩主で茶人でもある、
小堀遠州の意図を汲んだ七つの窯です。
他には志戸呂焼や赤膚焼、古曽部焼、
高取焼、上野焼があります。
■宇治の朝日焼
宇治の土と松割木の炎による、
微妙な色合いを楽しむ器です。
綺麗寂と言う穏やかさときらびやかさが
同居した作風が特長です。
■膳所焼
江戸の初期から作られています。
非常に手薄く、軽いと言われています。
■粟田焼
表面に繊細なひびが入っており、
色絵があるのが特徴です。
初代・伊東陶山は茶器や酒器などを作るのみでなく
洋食器や装飾品と言った物も作り、
海外に輸出すると言った事もしました。
また1984年には粟田陶器組合の副組長になり
さらに遊陶園を作り
技術向上や後進育成にも励みました。
また、初代・伊東陶山は
三代目・高橋道八や村田亀水、帯山与兵衛
と言った面々から技術を学び、
積極的に文化を伝えていったことで、
その技術は現代までも受け継がれています。