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2020.10.22
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初代・五姓田芳柳とは【経歴/作品/洋画家/浮世絵師】

初代・五姓田芳柳の生い立ちは?

初代・五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)18272月に東京で生まれました。なお元々の本姓は浅田柳翁と言いますが、幼い頃に両親を亡くした為、次々と違う家の養子となり姓が変わった自分を指して五姓田と名乗るようになったといいます。

その後15歳の頃に、浮世絵師として活躍していた歌川国芳の下で修行をし、2年後には画家を志して日本各地に足を運びました。この約5年の間に、長崎を訪れた際に目にしたオランダ絵画に影響を受けた事で、20代半ば頃には日本と海外の絵画それぞれの技法を合わせた独特な作風を確立。さらに33歳頃には横浜で西洋人と交友し、初めて油彩画を目にしています。

以降も狩野派の樋口探月に学ぶなど、画家として腕を磨いていきますが、明治元年になった頃から五姓田芳柳の名を称するようになり、1870年には横浜に移ると、それまで洋画を見て影響されたものを活かしながら横浜絵を販売し始めました。これは横浜港に訪れた外国人向けに、横浜港や周辺の風俗を描いた錦絵のことで、当時は大量に生産されています。やがて五姓田芳柳は横浜絵の制作と並行して肖像画の制作も多く行うようになり、1873年には明治天皇の肖像画制作の依頼を宮内省から受けることとなりました。また軍医の松本良順の協力を得て、解剖図を手掛けたほか、西南戦争時には負傷者たちの写生を命じられるなどして活躍。自身の作品制作においても内国勧業博覧会の洋画部門で最高賞を受賞するなど当時の日本国内における代表的な画家のひとりとしての立場を確立しています。

 

50代になると、肖像画の注文をメインとする光彩社を立ち上げ、また文部省からの依頼を受け新潟にて絵の指導を行うなどしますが、晩年は自身の次女の夫にその名を譲り、再び日本国内と、アメリカを巡りました。

そして1892年、66歳で息を引き取っています。

 

 

 

初代・五姓田芳柳の作品の特徴は?

初代・五姓田芳柳の作品は、前述の通り日本と海外の絵画それぞれの技法を合わせた所に特徴があります。絹地やぼかしでの陰影技法で細かな写生画となっているのですが、当時はまだ西洋画で使われている油彩用の道具の入手が難しかったので、どのようにして西洋画を描けるか?と言う所に工夫が凝らされていました。

 

 

 

初代・五姓田芳柳の他の評価部分は?

初代・五姓田芳柳は横浜に住んでいた当時、海外の人とのコミュニケーションを積極的に行い、横浜絵も評判を獲得しました。

また後進の指導にも積極的で、自身の子供である渡辺幽香や五姓田義松。五姓田塾を開いたり、他の弟子には山本芳翠や婿養子としても迎え入れた二代目・五姓田芳柳もいます。

 

代表作

 

1881年に描いた『西南役大阪臨時病院負傷兵施術光景』(東京芸術大学美術館が所蔵)。

『西洋老婦人像』『芭蕉と月』(2点とも神奈川県立歴史博物館が所蔵)などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■歌川国芳

1797年に生まれた江戸を代表する浮世絵師であり、初代・歌川豊国の弟子でもあります。

武者絵が有名ですが、風景画に西洋画で見られるような遠近法や明暗法を使っています。

 

■オランダ絵画

1609年に独立したオランダで生まれた絵画の総称です。非常に様々な画家が生まれており、独自の明暗法が有名なレンブラント・ファン・レインや印象派としては大胆な作風のフィンセント・ファン・ゴッホ。静寂な雰囲気の室内画のヨハネス・フェルメールなどを輩出しました。