八木一夫は1918年7月京都府京都市にて生まれました。
父は赤土社を立ち上げ、新陶芸運動を行った
陶芸家の八木一艸(やぎいっそう)として知られています。
一夫は13歳の頃になると
京都市立美術工芸学校彫刻科に入り、
卒業後は日本人として初めて
フランスのセーヴル陶磁器製造所で働いた、
沼田一雅が開く日本陶彫会へ入会。
また商工省陶磁器試験所にて技術を習得します。
1946年には戦後の日本の陶芸界を代表する
鈴木治達と共に青年作陶家集団を結成。
翌年に青年作陶家集団の考えや
動機などを記した書を出し、
1948年には鈴木治や松井美介、叶哲夫などと共に
走泥社を立ち上げました。
1947年の第3回日本美術展覧会においては
『豚児闌春』が初入選を果たしています。
また走泥社としては1950年発表の『少女低唱』や
『飛翔するカマキリ』と言った作品群が
ニューヨーク近代美術館に展示されたことが、
大きな話題となりました。
八木一夫の作品の特徴は今までの型にとらわれない
陶芸作りを行ったところにあります。
特にその特徴が現れている代表的な作品の一つが
1950年に発表した『ザムザ氏の散歩』です。
ろくろでの円筒を輪切り上にした作品には
八木一夫のシャープな感性と知的さが
現れているとも言われています。
なお幅広い作品群などで世界的に名を馳せた
イサム・ノグチや前衛生花との交流が
『ザムザ氏の散歩』を生んだきっかけとされています。
1955年に差し掛かると
陶器を観賞用の作品として昇華させながらも
彫刻ではない、洒落っ気もある不思議な作風として
変化させていきました。
またこれらの作品は、抽象表現主義や
アンフォルメの考えを組み込んでいる経緯もある
と言われています。
走泥社の前進の団体でもあります。
1948年に解散するまで
古くなった体制から抜け出すことを目的に
松井美介や叶哲夫の他、
ヨーロッパに渡った経験を持つ斉藤三郎や田中一郎が
在籍していました。
1948年に結成。
多くの青年作陶家集団の元メンバーが在籍し
戦時中の息苦しさを脱出した日本との勢いも相まって
勢いも強めていったと言われています。
八木一夫は独創性が光っていると言われていますが
それは多くの作家との交流によってだったり
また抽象表現主義やアンフォルメの考えを組み込むなど
時代にも対応した結果と考えられます。
また、走泥社の結成も
八木一夫の勢いに繋がったとも言われています。
走泥社の作品を通して影響を受けた人や
当時の時代背景も感じられるかもしれません。
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