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2020.08.07
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入江波光【日本画家/京都市/水墨画】

入江波光(いりえはこう)

入江波光は1887年9月に京都市で生まれました。ちなみに本名は幾治郎と言います。幼少期から画家になる事を考えていた入江波光は、10代半ばの頃から日本画家の森本東閣から学んでいき、この縁で波光の名を森本東閣から授かっています。

また同年には京都市立美術工芸学校に入り、そこでは榊原紫峰や村上華岳と知り合いました。1905年に同校を卒業した後は、自らの意思で陸軍へ入隊するものの翌年には辞めることとなっています。

ちなみに京都市立美術工芸学校在学中の1907年には、第1回文展において『夕月』が入選受賞としますが、それからは目立った文展での活躍がありません。その後1913年には、京都市立絵画専門学校からの委任と言う形で東京帝室博物館にて古画模写に携わるようになり、5年後の1918年の第1回国画創作協会展の場では作品『降魔』が国画賞を獲得。なお1919年には同会の同人になるのですが、残念ながら1928年には解散しています。以降も後進の育成に務めながら仏画の古典研究や模写を行い、特に1941年からは法隆寺金堂壁画の模写にも携わっていきました。

 

そして1948年6月、62歳の時に息を引き取ります。

 

 

入江波光の作品の特徴は?

「光の画家」とも称される、印象派的でもある穏やかな外光に特徴があります。とは言え作風が変わるようになるのも入江波光の特色であり、1922年にヨーロッパに渡ったのですが、現地での経験は強固たる作風のきっかけとなっているようです。

元々、古画の影響が感じられるロマン性豊かな作風が持ち味なのですが、1922年にヨーロッパに訪れ、そこではイタリア半島南部にある、2000年以上の歴史を持つポンペイ壁画やルネサンス期のフレスコ画から多大な影響を受けます。

特にフレスコ画から受けた影響で展開した緑色の薄い靄の中にある世界観は幻想的で、また1928年からは落ち着いた雰囲気の水墨画を多く発表するようになりました。

 

 

 

入江波光の作品の価値は?

確認できる入賞歴が1907年の第1回文展程度であっても、入江波光の作品魅力は十分にあると現代の鑑賞者からは言われています。

なお「光の画家」の呼ばれは1925年発表の『叢と子供』や1926年公開の『南伊太利トルレデルグレコ』で、分かりやすく現れていると呼ばれています。

 

他の代表作

 

1920年発表の『彼岸』(京都市美術館に所蔵)。1939年発表の『風浪漁舟』(京都国立近代美術館に所蔵)などがあります。

 

 

各ワード紹介

■森本東閣

京都生まれの日本画家で、東閣画塾にて後進の指導を務めました。入江波光もその塾生です。

 

■村上華岳

東洋と西洋の雰囲気が合わさった神秘性の高い作風が特徴の画家です。文展の審査内容に対して疑問を持ったために、1918年に野長瀬晩花や榊原紫峰などと共に国画創作協会を立ち上げました。入江波光は次の年に会員となります。

 

■京都市立絵画専門学校

1909年に華やかな雰囲気の花鳥画を得意としている幸野楳嶺の意見によって設立されました。講師陣は今で言うオールスターと言った感じで揃えており、入江波光もその一人として後進の指導を務めていきました。