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骨董品
2019/09/19

信田洋【工芸作家/金工】

信田洋(のぶたよう)

 

彫金家の信田洋は、1902年に

 

東京日本橋に生まれました。

 

15歳になると東京府立工芸学校に入学し

 

北原千鹿に学んでいます。

 

やがて東京美術学校在学中には、

 

北原千鹿を中心に山脇洋二ら新進の金工家らと

 

金工芸団体の「工人社」を結成して

 

活動を行いました。

 

信田洋らが工人社を設立したのは

 

その頃の工芸界での出品先として潮流だった、

 

博覧会の美術部門、輸出工芸振興の為の

 

商工展、帝展などへの制作活動の姿勢に

 

疑問を感じた為だと言われています。

 

こうして彫鍛金を中心とした金工界、

 

ひいては工芸界に新風を吹き込むために

 

工人社は結成されたのです。

 

しかし、工人社の展覧会は第11回を迎える頃から

 

戦争の影響もあって次第に作家たちが

 

個々に独自の活動を行うことが難しくなっていき

 

解散するに至りました。

 

そしてこれらの活動は、後の帝展や新文展、

 

日展などにおける活躍となって現れていくのです。

 

信田洋は1928年に東京美術学校彫金科を卒業すると

 

その2年後、第11回帝展に『彫金透彫筥』を出品し

 

初入選を果たします。

 

さらに32歳の時には第15回帝展に

 

『蒸発用湯沸瓶』を出品して特選に。

 

1951年には『芙蓉置物』で

 

芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。

 

50代半ばの頃には新日展会員になり

 

数年後からは評議員として作品を出品しています。

 

 

 

信田洋の作品の特徴と技法

 

信田洋は、花瓶や筥、置物などの古典的な器物を

 

好んで多く制作しました。

 

それらの作品は花鳥などの伝統的なモチーフの文様を

 

モダンな感覚で表現して

 

品格のある作風を確立しています。

 

信田洋の作品である『白銅組込花器』では

 

白銅同士の組み合わせの継ぎ目をデザインに仕立てて

 

その白とブロンズ色の対比を際立たせました。

 

近代の金工界の先駆者的として

 

存在感を示しています。

 

 

 

信田洋の評価される所以

 

信田洋は、金工界に新しい展開をもたらし

 

その発展に尽力しました。

 

信田洋が中心となって活動していた

 

工人社の展覧会は地方でも開催しており

 

その活動を全国に認知させています。

 

また、その展覧会は、最も新感覚の展覧会である

 

と評価されていました。

 

 

 

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