佐治賢使は1914年、岐阜県多治見市で生まれます。
19歳の時に東京美術学校工芸科に入学しましたが、
在学中の1936年に文部省美術展覧会に出品した
『漆盛器』は初入選を果たしました。
続けて、その約2年後に作成した卒業制作作品は
学校で買われるなど、学生時から
その才能を遺憾なく発揮していました。
また20代後半の頃には
新文部省美術展覧会で特選を獲得。
1946年の第1回日本美術展覧会にて
『肉合研出宇豆良水指』が特選を獲得し、
1958年には第1回新日本美術展覧会において
出品した『追想スクリーン』が
文部大臣賞を受賞するなど、戦後は日本美術展覧会で
多くの賞を獲得しています。
やがて1978年には帖佐美行らと共に
日本新工芸家連盟の立ち上げにも参加し、
1995年、81歳の時には文化勲章を受章しました。
佐治賢使の作品は漆工芸の基礎を踏まえながらも
現代に合わせた作品作りを行っている所にあります。
色漆や金蒔絵、螺鈿や乾色粉などを使って
デザイン性や線のラインの美しさを重視しており
漆芸の範囲を飛び越えて多くの話題を得ました。
またその事により、日本的な美しさを
スタイリッシュに表現している
と言った特色もあります。
漆芸とは漆の木から採れる樹液を使い
器の表面に模様を描いたり塗ったりして、
作品を作っていく技術の事をいいます。
また樹液は接着目的にも使われることもあります。
漆芸には乾漆や蒟醤(きんま)、漆絵など
様々な種類があり、色漆の塗り方一つとっても
様々な塗り方があります。
■色漆
色漆は顔料を混ぜて作った漆の事です。
■漆工芸の歴史
日本における漆の歴史は縄文時代にさかのぼります。
この頃から土器や装飾品に漆が使われており
以降、平安には寺院の内装や貴族の調度品、
安土桃山には茶人好みの漆器などとして
時代の移り変わりに合わせて
漆工芸も発展していました。
江戸時代になるころには
徐々に一般庶民にも漆器が広まり、
さらに海外への輸出も開始されます。
これによって欧州にも広まった日本の漆器は
磁器が英語で『china』と呼ばれるのに対し
『Japanese lacquer』、または『Japan』
と呼ばれるようになったと言います。
佐治賢使の作品は漆工芸の良さを伝えながらも
昔ながらのものに拘っているだけでなく、
しっかりと現代に合わせたアピールしている所が
特色だと言えます。
伝統は時代に合わせて形を変えるので生き残る
と言われていますが、佐治賢使の作品からも
それは感じられるのでないのでしょうか。