佐々木岩次郎は1853年に京都で生まれ、
生家は四代続く建築業を営む名家でした。
16歳の頃からは名匠木子棟斎の門下に入り
神社仏閣の建築技術を学んでいます。
そして24歳になると
京都大谷派大本山本願寺本堂の再建に従事し、
京都や奈良、平泉の旧跡建築物の調査、修理の監督
を行いました。
1898年には実業家の浅野総一郎に招かれ
芝区の本館(紫雲閣)の主任技師を任され
設計監督に従事しています。
その後57歳で日英大博覧会での
東京館設計監督を任されることとなり、
渡英中にはフランス、ドイツ、ロシアの建築視察。
また、約3年後には大本山増上寺大殿の再建に際して
主任技師として携わりました。
そして1917年、64歳のときにこれらの功績が認められ
「建築」の分野で帝室技芸員に任命されています。
佐々木岩次郎が心血注いだ建築物の一つに
京都市西京区嵐山にある「法輪寺」があります。
1864年に蛤御門の変によって被害を受けた
「法輪寺」の伽藍の再興は、
1884年から本堂の再建以降順次進められていきました。
その中でも1936年から再建が始まった多宝塔は
佐々木岩次郎の設計で進められています。
多宝塔の造りは、下層が方三間、柱間装置には
四面とも中央間に扉を配し、
両脇間は連子窓で構成されています。
内部には四天柱を設け、南を正面として
仏壇を配置しているほか、
上層には12本の柱で円形の軸部を形成しています。
軒の上層部は禅宗様で扇垂木になっており
下層部は平行垂木、屋根は銅板葺という設計です。
江戸時代までの社寺建築は
合理的に組み上げていくことを第一の目的としますが
この多宝塔は必ずしもその設計思想に囚われることなく
安定した構造、多観の美しさ、
軒廻りの造りが見て取れます。
組み上げも従来用いられていた
下層から上層へと積み上げる形式ではなく、
下層の組物の上に柱盤を架渡して
上層柱を建てる方式を採っており、
複雑な軒廻りの工作を上層組上げ後にも
施工できるように工法的にも配慮もされています。
古来の工法のみに囚われず新しい設計思想を用いる
佐々木岩次郎の特徴的な設計と言えるでしょう。
佐々木岩次郎は、明治時代から昭和にかけて
主に神社仏寺の建築に多くの業績を残しました。
日本建築の巨匠としてその地位を確立し、
古来からの建築技術を守りながら
自らの独創を織り交ぜて建築技術を高めていきました。