伊藤清永は1911年2月に、兵庫県出石郡の吉祥寺の
三男として生まれました。
12歳で宗第三中学に入学し、この頃既に
油絵を描き始めていたと言います。
また当時の交流の会った図画教師に、
女性像を得意とする岡田三郎助を
教えられたのをきっかけに、
本郷洋画研究所へ入りました。
やがて18歳の時に東京美術学校へ入学し
1931年の槐樹杜展で出した『祐天寺風景』が初入選。
その2年後の1933年の
第14回帝国美術院展覧会で出した『朝の路次』も
入選となります。
その後24歳で東京美術学校を卒業し、
1947年の日本美術展覧会において『I夫人像』が特選
翌年の日本美術展覧会でも『室内』が特選と、
日展でも活躍していきました。
1953年には伊藤清永絵画研究所を設立し、
1996年、85歳で文化勲章を受章しています。
伊藤清永の作品の特徴は、女性を穏やかかつ
ルノワール的なタッチで描いている所にあります。
また、伊藤清永の描く女性は目が大きめに
描かれていると言われており、彼は生涯に渡って
豊かな肉体の裸婦像を描き続けました。
なお風景画も多く描いており、風景画としての実績は
『祐天寺風景』や『朝の路次』。
日本芸術院恩賜賞を受賞した『曙光』など
十分に知られています。
■ルノワール
後期印象派を代表する画家で
豊かな内面性を表した世界観を
穏やかな光彩と柔らかな色合いで描いています。
また伊藤清永同様、裸婦も多く描いていることで
知られています。
■日本における裸婦画
明治の中期時代の日本に、洋画として
裸婦像が入ってきた事が、絵画のモチーフとして
取り上げられるきっかけであったと言われています。
黒田清輝や村山槐多などが率先して描きましたが
当時は裸婦像は洋画の模倣、と指摘されていました。
そこから画家たちが次第に日本的な風土感を出すことに
努めたことで、この主題は広まっていきます。
伊藤清永ももちろん、そういった画家たちの1人です。
伊藤清永は他に愛知学院大学の百年記念として
『釈尊伝四部作大壁画』を制作しています。
寺出身でありながらも画家の道に進んだ伊藤は
その感謝を表すために、
この作品を制作したのではないかと言われています。
制作には7年もの時間がかけられ、
1984年の完成時には愛知学院大学講堂や個展などで
見られるようになりました。
伊藤清永はやはり女性や風景だけではなく、
実家を含めた
自身のルーツも見つめていた事が伺えます。