今井理桂は1947年に青森県南津軽郡で生まれました。足利工業大学機械工学科を卒業後、常滑焼の作品に感動したことがきっかけで、20代半ばの頃に本格的な作陶家人生を始めます。
1977年には栃木県足利市にて足利焼の窯元を立ち上げ、3年後に登り窯の朋隆窯を同じ足利市に造りました。作品作りに打ち込んでいき、1981年からは2年連続で第13回第三文明展に入選。また第10回栃木県芸術美術展でも受賞するなど、連続して功績を挙げていきます。その後、日本伝統芸能文化週間のジャパンウィーク’84の為に作家としてフランスへ訪れるなど、海外でも活躍する機会を得た一方で、1985年には多々良焼を作る金子認から叩き手技法を学び、より一層技術を磨いていきました。
また叩き手技法を学んだのと同年には、登り窯の飛龍窯を完成させ、続けて鷹揚窯、臥龍窯と窯を築いています。中でも臥龍窯は世界最長の100メートルに及ぶものとなりました。
この間にもシアトル桜祭りや日本文化祭セラミックアート部門で作品を発表するなど作陶を続け、やがて今井理桂は拠点を青森に移すと、1996年には同県の窯場で津軽烏城焼の作陶を開始。
並行して臥龍窯の100メートルを超える、世界最長の登り窯作りにも取り組んでいきます。
今井理桂の生み出す、登り窯と穴窯の二種類と自然釉を駆使した津軽烏城焼の作品は、以降、
青森県芸術文化報奨や、国際文化交流功労特別大賞などを獲得。また国際公募美術家連展では総務大臣賞や文部科学大臣賞を受賞するなど各所でその名を広めていきました。
2018年には、1996年から造り続けてた103メートルとなる登り窯・烏城焼が、クラウドファウンディングによって完成されています。
今井理桂はこのように幾つも登り窯を手掛けた所に特徴があります。
また病を克服したのち、クラウドファウンディングによって募った応援によって完成した登り窯は話題を呼びました。
赤松を燃料とした烏城焼は、1,300度以上の熱で焼かれた赤松の灰が作品の一部となり、一つ一つ違う物が出来上がるのも良さの一つです。
■登り窯
山や丘と言った斜面に、複数の窯が連なって昇る形の窯となっています。
下から上に向かって連続的に火が登り、効率の良い焼成が可能です。
元は朝鮮から日本で使われたのですが、現在は欧州でも使われているようになっています。
■金子認(かねこみとむ)
1937年生まれで佐賀県の多々良地区にある、粘土を内側と外側から叩く叩き上げの技法を守っていた事で、1973年に文化庁無形文化財技術記録となりました。
アメリカでの作陶展や大英博物館の佐賀県陶芸展でも作品を発表しています。
■常滑焼
愛知県常滑市が産地となっており、日本六古窯に数えられる焼き物です。酸化鉄の多い朱泥によって、赤茶色の作品が多く見られます。