井上良斎(いのうえりょうさい)
井上良斎は江戸時代の終盤から続いている
陶工一家です。
初代・井上良斎は1828年に愛知県の瀬戸で誕生し
尾張国(愛知県)の犬山の川本治兵衛のもとで
窯業を営んでいましたが、
のちに江戸の四谷や下谷へ移ります。
元々は犬山焼を作っていたのですが
高須藩松平摂津守江戸藩邸に気に入られお抱えとなり
1866年には主にヨーロッパエリアへの
輸出用の陶磁作りも行いました。
また海外展開を行い始めた当時は
花器にインパクトのある釉薬掛けを行ったり、
人形の制作や江戸の風土を全面に出した
隅田焼への着手なども行っています。
なおこの時、輸出態勢を整える為に
起立商工会社も立ち上げました。
そしてヨーロッパエリアへの輸出用陶器は
「東玉園良斎」と言う名前で出しています。
ニ代目・井上良斎について
ニ代目・井上良斎は1845年に誕生します。
元々は釣焼きでの額面製造や青花転写法、
瑠璃釉の技法を進化させた事で知られる
2代目・川本治兵衛の子供として生まれましたが、
やがて初代・井上良斎の養子となりました。
1877年には第1回内国勧業博覧会で成功を収め、
完璧とも言える白磁の釉下着彩法と
幅広い東洋的な表現で強く世の中に知れ渡りました。
三代目・井上良斎について
三代目・井上良斎は1888年に、
初代・井上良斎の長男として誕生します。
17歳の頃に家業を引き継ぐ事を決心すると
アール・ヌーヴォー様式の、西洋やアジアの
技法を駆使した板谷波山に師事しました。
また1953年の第1回横浜文化賞を獲得したり
日本芸術院賞や勲三等瑞宝章の受賞など
派手な活躍が目立ちます。
青磁や白磁掻き落しでの線刻文様図柄と、
控えめな色合いが
数多くの受賞の理由と言われています。
また輸出用として多量の作品制作を行い
戦後の疲労した日本を救う経済力の
一端を担いました。
世界に向けてアピールした一端の井上良斎
一家としての井上良斎は、
各代が様々な陶器作りを行ったため
それが強固な海外ビジネスとしての
陶器制作の基盤になったと言われています。
なお三代目が1971年に亡くなり、
そこからの世代は見受けられませんが
一家を知る事で当時の日本が世界に向けてアピールした
努力の一端が学べます。
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