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2019.12.05
ブランド品

久米桂一郎【洋画家】

久米桂一郎(くめけいいちろう)

 

久米桂一郎は18668月に佐賀県で生まれました。

 

幼い頃から絵を描くことに興味を持ち

 

また歴史学者である父の邦武から、

 

史記や戦国策などについて学んでいきます。

 

1884年にはラファエル=コランから教えを受けた

 

画家の藤雅三から学び、1886年、フランスに渡り

 

同じくラファエル=コランの弟子となりました。

 

なおフランスでは黒田清輝と知り合い、

 

生涯まで友として関係が続きます。

 

そして黒田清輝も藤雅三から教えを受けていました。

 

1893年に日本に帰国すると

 

久米桂一郎は黒田清輝と共に天真道場を設立。

 

さらに1896年には白馬会にも加わっています。

 

白馬会は保守的な明治美術会に

 

対抗する目的がありましたが、

 

外光派を強く謳った作風の白馬会での活動は

 

久米桂一郎を代表する経歴となりました。

 

そして19347月、68歳で息を引き取っています。

 

代表作としては『裸婦』や『清水秋景図』

 

『姉の像』などがあります。

 

 

 

作風

 

久米桂一郎は確かな描写性と外光派の作風により

 

明治後半時代の洋画に

 

影響を及ぼした事で知られています。

 

外光派とは、

 

今まで室内で風景画を仕上げていた事により

 

自然光が暗かった作品を、室外で描く事により

 

明るく自然光を取り入れるようになった、

 

ヨーロッパの美術運動を指します。

 

フランスに渡った久米桂一郎なら、

 

それを取り入れているのは

 

至極自然な事とも理解できます。

 

また活動の初期には

 

師匠のラファエル=コランの影響

 

が強く出ていると言われています。

 

そしてラファエル=コランは

 

学術的な作風でありながらも、後に外光派的要素を

 

取り入れている事で知られています。

 

 

 

指導の道に進んだ久米桂一郎

 

久米桂一郎は1898年に東京美術学校の教授を務めると

 

以来作品制作からは距離を置くようになっています。

 

行政や啓蒙活動に力を入れており、

 

久米桂一郎と言えば画家と言うより

 

指導家のイメージが強い方も多いのかもしれません。

 

亡くなったのが1934年なので36年間ほど

 

画家として活動せずに

 

指導家として務めた事になります。

 

なお製作から興味を置いた時期からは

 

美術解剖学や考古学について教えたり、

 

万国博覧会の為の出張や

 

文部省美術展覧会審査員も行ったようです。

 

これらの活動をみていると、久米桂一郎の活動後半は

 

歴史学者の父と被るような気もします。

 

久米桂一郎は進学について考えていたものを

 

父に反対されて断念し、その上で

 

史記や戦国策などについて父から学んだのは

 

抵抗があったと思います。

 

教えるために学者と同じ様に研究もしたはずですし

 

父から教えられたのと同じ様に人に教える事を、

 

製作から距離を置いてまで専念したのは

 

人生の不思議な部分を垣間見ている気がします。