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2020.10.15
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三輪晁勢とは【日本画家/新潟県/作品/代表作/堂本印象】

三輪晁勢の生い立ちは?

三輪晁勢(みわちょうせい)19014月に新潟県で生まれました。なお父親は京都府画学校出身で『漁夫補網』が知られている日本画家・三輪越龍です。父からの影響を受け絵に興味を持っていた三輪晁勢は、10代前半で京都市立美術工芸学校に進学。続いて1921年には京都市立絵画専門学校へ入学し、在学中には日本画家の堂本印象の下で学んでいきます。卒業後、1927年の第8回帝国美術院展覧会においては、“超世”の号で発表した『東山』で初入選となりました。のちの1931年の帝国美術院展覧会では『春丘』が特選を獲得するなどして受賞を重ね、少しずつその名を広めていきました。そして同時期に、号を“晁勢”としています。

 

また、30代には師である堂本印象が画塾・東丘社を立ち上げると、三輪晁勢自身も参加し、塾頭として活躍。1939年には日本政府と中国の当時の政府による合弁会社・華中鉄道の招待を発端に、アジア各所を堂本印象と共に渡り、その経験を活かした作品を1942年の第1回大東亜戦争美術展で発表しました。翌年の第2回大東亜戦争美術展でも作品を発表し、この頃はたびたび戦争記録画家として活動しています。

戦後は画家として活動を続けながらも再度諸外国を渡り、1961年の第4回新日本美術展覧会において発表した『朱柱』で日本芸術院賞を獲得。1974年には京都市文化功労者となり、1975年に堂本印象の後を継いで東丘社の主宰を務めました。

晩年は戦争画から離れ、風景画や花鳥画など幅広い分野の作品を描きましたが、1983年、82歳で息を引き取っています。

 

 

 

三輪晁勢の作品の特徴は?

三輪晁勢は富士山が多いのですが、他にも主に北海道の景色など広大なスケールの風景画を描くだけでなく、花鳥図や人物画なども手掛けている所に特徴があります。

テイストとしては堂本印象からの影響を受けたような鮮やかな作品群も展開していますが、それらは作品を描いていく内に深みを増し、三輪晁勢独特の雰囲気をまとっています。

 

 

 

三輪晁勢の他の評価部分は?

三輪晁勢は水彩画や新聞掲載用の小説挿絵、衣装デザインや壁画も制作しています。

他にも日本美術展覧会や京都市展などの審査員なども務めました。

 

代表作

 

12回帝国美術院展覧会の出品作であり、三輪晁勢の画家名を名乗る前の作品でもある『春丘』。

1934年の第15回帝国美術院展覧会において特選となった『舟造る砂丘』。

他にはいずれも東京国立近代美術館が所蔵する、1942年発表の『キャビテ軍港攻撃』や1943年発表の『ツラギ夜襲戦』などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■堂本印象(どうもといんしょう)

1891年生まれの京都出身の日本画家です。実家は醸造業であり、西陣織の図案家から日本画家になる事を決意し京都市立絵画専門学校に入ります。その後、帝国美術院の場で活躍を続け、1950年代からは抽象芸術を手掛けたことで国際的な評価も獲得しました。また、京都府立堂本印象美術館のデザインも行っています。

 

■モダニズム

堂本印象が作品に取り入れた、現代的な作風と言う意味のある芸術運動の名称ですが、文学や美術に限らず哲学などにも及ぶ芸術運動の名称です。堂本印象を師にもった三輪晁勢も、鮮やかな色彩を用いた作品などからはその影響が見て取れます。

日本では大正終盤からの動きがモダニズムの運動が目立ちますが、日本画の定義を超えると言う側面もあります。