三田村自芳は1886年、東京都浅草で生まれます。
13歳の頃からは蒔絵師で王道の作風として知られる、
七代目・赤塚自得からその技法を教わりました。
やがて自芳を名乗り、1936年には稲花会を作ります。
稲花会では七代目・赤塚自得が死去していた為、
その他の弟子達を集めました。
三田村自芳は日本美術展覧会会員であると同時に
江戸蒔絵の正統を受け継いでおり、
また多くのスケッチを残しています。
代表作には『杉樹蒔絵衝立』や
『乾漆宝珠文蒔絵盛器』などがあります。
※乾漆について
木や土、石膏などの型を用いた漆工芸の技法の一つです。
1603年に徳川家康が征夷大将軍となり、
江戸にて幕府が誕生しそれを江戸幕府とします。
徳川家康及び2代となる秀忠の墓である徳川家霊台は
内側を金箔で施していると言った権力を示す様子が
ありありと分かりますが、
徳川家康はもちろん生前から贅沢品として
江戸蒔絵に注目していました。
江戸幕府を開いた際には、
全国各地に散らばる蒔絵師を呼び
その中から厳選した職人をお抱えとし、
嫁入り道具や城の建物内の調度品まで
作らせたといわれています。
当時の江戸で活躍した作家としては
『桜蒔絵印籠』で知られる昇龍斎光玉。
原羊遊斎を師に持つ中山胡民。
中山胡民の門下生であり
復古国粋主義に陶酔した小川松民。
また蒔絵のみならず工芸品や日本画も作り
漆芸に関わる作業を一貫して行った
柴田是真などがいます。
三田村自芳が誕生した時には既に江戸幕府誕生から
200年以上も経っており、錚々たる顔ぶれの
江戸蒔絵の正統を受け継ぐのは、
相当な重圧があったと考えられます。
古くから日本は龍の形に似ているとされており
特に神社では豊作を願うものとしても
龍は見立てられています。
稲作文化は日本を形成してきたものでもあるので
龍を描く事は日本を描くと言う意味合いと、
ほぼ同じであると考えられます。
衝立は言わばプライベートを守る空間でもあり
また邪気の侵入を止めると言った役割も
果たしています。
プライバシーを守る衝立の贅沢版でもありながら
住居内であっても豊作を願っている
と言い換えられますので、奥ゆかしささえ
感じられます。
三田村自芳は代を受け継ぎ、
三田村秀芳も経て現在、秀芳を父に持つ
三田村有純が漆芸家として活躍しています。
三田村自芳は江戸蒔絵を受け継ぐだけでなく
後世に技術を残した事になります。