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三条実美(さんじょうさねとみ)は、1837年3月に京都で生まれました。なお父は内大臣の三条実万として知られています。
1854年に兄が息を引き取った関係で、のちに三条実美は三条家を引き継ぎますが、この最中、自身が22歳の頃に安政の大獄によって父が身を隠して生活をするようになり、まもなく亡くなる事となるなど混乱の中で家督を相続しています。その後は父親が提唱していた、天皇を守り国を倒す姿勢も辞さない、倒幕派とも呼ばれる尊皇攘夷の意志を継ぎ、長州藩と組むなど積極的に動いていきます。以降も、対立していた公武合体派の一員であった岩倉具視を失脚させるなど多方面に働きかけ、長州藩や土佐藩などとのつながりを深めました。しかし、あまりに過激な行動に、1863年には官位を停止されています。
その後1867年に倒幕派が王政復古の大号令を出した事で復位し、表舞台に立てるようになりました。また新体制となった政府においては、明治元年に岩倉具視と共に副総裁を任せられています。晩年は、短期間ではありますが内閣総理大臣と内大臣を兼任し、以降も明治時代初期から中期にかけて政界の中心人物として活躍しました。
そして1891年2月、53歳で息を引き取っています。
三条実美は勤王派という言い方もある尊王攘夷の意志が強く、天皇に対しての誓いや信念のもとに公武合体派と激しく対立し、その中心人物である岩倉具視への対抗心も知られています。なお三条実美は公家である名門の藤原北家出身でもあり、1863年に官位を停止された際には、同じ処遇となった他の6人の公家の人間と共に、七卿落ちと呼ばれるようになりました。
ですが表舞台から消えたままになる事はなく、明治維新後は政治の舞台に立ち続け、1885年に内閣制度が誕生した際は、その方針転換前の最後に務めた太政大臣として記録されるまでとなっています。
明治政府の中心人物として奔走するようになった三条実美の関連書は、嘆願書や建白書など幾つも残されています。
また明治天皇に付き添い、和歌について教えたりもしています。その際には梨堂という雅号を称しています。
他の代表的な書など
太政大臣時代の三条実美が1873年に右大臣の岩倉具視に送った『三条実美書簡』(国立国会図書館が所蔵)。
1883年に西郷従道と山田顕義とで出した『北海道転籍移住者手続 内閣 布達書』。
1893に発表された和歌集の『なし之かたえ. 上,下』などがあります。
■王政復古の大号令
1867年にあった薩長同盟が主立って行ったもので、今までの幕府体勢から一新して天皇主力で新しい政権を朝廷にて行うといった内容のものです。
■安政の大獄
1858年から始まった井伊直弼による攘夷派の一掃運動です。数々の人物が死刑となりましたが、実際は強引な政策を行う井伊直弼に反対する勢力にも厳しい態度を見せると言う側面もあります。
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