人形作家、そしてアララギ派の歌人であった
鹿児島寿蔵は、1898年に福岡市で生まれました。
15歳で小学校を卒業後、
教育関係の材料を取り扱う製作所に就き
博多人形に彩色を施す仕事をしていました。
その当時、同僚であった有岡米次郎の独立に伴い
彼を師事して本格的な人形制作に
力を注いでいきました。
1917年に福岡市内に窯を構えると
テラコッタ風の手稔り人形などを制作し、
22歳の時には個展を開きました。
この制作活動中にも、岡田三郎助からデッサンを学び
技術向上も休みなく続けていたと言われています。
同年、上京すると1930年に人形美術団体「甲戊会」を
掘柳女、野口光彦らと共に結成しました。
この頃から、紙塑の研究に没頭し
「紙塑人形」の技法を創案しました。
その後35歳の時には日本紙塑芸術研究所を開設し
1936年の第1回帝展に「黄葉」を出品、
1938年に「桐塑」を創案しています。
また歌人での活動は、「アララギ」で
土屋文明、島木赤彦らを師事。
1928年から「歌壇風聞記」を「アララギ」に
10年ほど連載し、1945年に潮汐会を結成
「潮汐」を機関誌として発行しました。
やがて1961年、63歳の時に
重要無形文化財保持者「紙塑人形」(人間国宝)に
認定されます。
また、69歳の時には文化財保護審議会専門委員を務め
同年、紫綬褒章を受章しました。
鹿児島寿蔵の得意とする紙塑の技法は
和紙を原料に楮、三椏などの繊維を煮て溶かし、
糊、桐粉、胡粉などを加えていくものです。
長時間かけてつき混ぜて粘土状にします。
この粘土状のものを肉付けすることで
人形に成形していきます。
もともと紙塑人形は鹿児島寿蔵が考案した技法で
その和紙の持つ柔らかさ、温かさや、
衝撃や湿度などにも耐えうる
堅牢さなどの利点を持っています。
鹿児島寿蔵は楮やパルプなどを素材にして
自身で染めた和紙を用いて塗り重ねる
「紙塑人形」の技法を確立させました。
また、アララギ派の詩人としても活動しており
詩人と人形作家の創造性が深く関わり合った
独自の感性で、幻想的な作風を築いています。