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2019.02.07
骨董品

鏑木清方【帝室技芸員/日本画】

鏑木清方(かぶらき きよたか)

 

鏑木清方(本名:健一)は1878年8月に

 

東京神田で生まれます。

 

氏は14歳になると浮世絵師や日本画家として活躍した

 

水野年方に弟子入り、

 

新聞や雑誌の挿絵を手がけました。

 

また23歳のときには大野静方や鰭崎英朋達と共に

 

烏合会を作り、画家としての基盤作りを

 

目指しています。

 

なお氏は他に平福百穂や吉川霊華らと共に

 

金鈴社も立ち上げ、

 

新しい個性のある作品作りも目標としていました。

 

とは言え鏑木清方の作風は斬新なテーマと言うより

 

江戸の文化が強く反映された下町風俗画や

 

人物画(特に美人画)など古くからあるものが多く

 

これらの作品が評価され、1944年、66歳のときに

 

帝室技芸員に認定されました。

 

代表作としては一葉女史の墓や墨田河舟遊。

 

築地明石町、三遊亭円朝などがあります。

 

 

 

美人画について

 

江戸時代初期の風俗画の中から、

 

美しい女性の姿を描いたものを指します。

 

ただし江戸時代当時は美人画とは分けておらず

 

そう呼ばれたのは明治以降と言われています。

 

鏑木清方の場合は特にその中で、

 

その人物の内面を描いていると言われています。

 

 

 

鏑木清方と関連のある人物

 

■大野静方

 

鏑木清方と同じく水野年芳門下の日本画家です。

 

積極的な浮世絵研究が有名で、その代表作としては

 

1942年の「浮世版と版画」があります。

 

■鰭崎英朋

 

川端康成や三島由紀夫などが彼から影響を受けた

 

と言われている、小説家の泉鏡花の口絵を

 

手がけています。

 

鏑木清方と共に美人画で多大な支持を得ています。

 

■平福百穂

 

アララギ派歌人でもあり、自然主義でもある画家です。

 

南画のテイストを取り入れていることでも有名です。

 

■吉川霊華

 

細長い線のタッチに定評のある画家です。

 

ただし氏自体は無名に近い存在と言われており、

 

資料的観点から今回のように

 

結成に関わった人物として記録が残っているのも

 

貴重と考えられます。

 

 

 

庶民の生活を見つめ続けた鏑木清方

 

鏑木清方が烏合会や金鈴社を立ち上げた事などで

 

テイストの共通した他の作家達と関わり合い、

 

その影響が作品に出ている事が考えられます。

 

氏の作品は斬新と言うより

 

古くからものを描いていますが、

 

その分安心できる作風として、当時の人達に

 

受け入れられたのではないでしょうか。