樋口一葉(ひぐちいちよう)は1872年に東京で生まれました。なお本名は奈津と言います。幼い頃から頭がよく、勉学を好んでいた樋口一葉は、父親の計らいで14歳の頃に歌日記『秋の道しば』が知られている中島歌子の開く歌塾・萩の舎に入門。ここで和歌や書、王朝文学などを学んでいきました。
その後1889年に父が倒れ、一時は生活が苦しくなり、姉弟子の三宅(田辺)花圃の影響で小説家となることを決意。それからまもなく1891年には『唖聾子』『くされ縁』などが知られている半井桃水から小説について学ぶようになりました。
そして翌年、同人誌の『武蔵野』の初号にてデビュー作『闇桜』が掲載されます。まだ生活の苦しさはありましたが、小説家としてやっていくことは諦めずにおり、20代前半の時、純文学雑誌として知られている『文学界』にて初めて投稿したことで、徐々に小説家としての名を広めていくようになりました。なかでも大きな転機となったのは1894年発表の『大つごもり』で、同作から作家としての個性を発揮し、他の作品でも評判を獲得していったと見られています。これが22歳の時、と、非常に若い頃でしたが、そこから1年間と約2ヶ月は特に素晴らしい作品を多く生み出していると高い評価を受けました。
しかしながら樋口一葉自身が当時すでに肺結核の病に侵されており、当時まだ治療法が確立されていなかったこともあり、1896年11月、24歳で息を引き取っています。
1895年に明治時代中盤の文壇で最も有力な文芸雑誌『文藝倶楽部』にて初めて出した『にごりえ』は、小料理屋に務めるお力と布団屋の源七の恋と悲劇的な結末を描いています。
また『たけくらべ』では美しい少女が浅草の風景描写を交えながら、その切ない初恋を描きました。
このように大衆の人々の悲しみと、そこにある夢を描いているのが特徴的です。
樋口一葉の作品の特徴は、樋口一葉自身の人生に強く影響されていると言われています。実際に家族を次々と亡くしたり、萩の舎でも上手くいかなったなどしました。
一方で、その作品は森鴎外や幸田露伴と言った、辛口で評価する他の文学作家達が絶賛したと言われています。
なお『闇桜』や『うもれ木』などの初期作品から、既に恋についての物語がつづられています。
他の代表作
小説としては『暁月夜』や『十三夜』、『ゆく雲』などかぎあります。
なお和歌は『樋口一葉和歌集』などでまとめられています。
■大つごもり
1894年に発表された作品で、女中奉公のお峰の悲哀感を描いています。なお『大つごもり』とは大晦日の別名で、大晦日を舞台設定としてまいす。
■三宅花圃(みやけかほ)
1868年生まれの女流小説家の第一人者と呼ばれています。樋口一葉よりも先に中島歌子の場で学んでおり、文学界にも携わるようになりました。
■半井桃水(なからいとうすい)
1860年生まれの小説家です。東京朝日新聞の記者でもあり大衆向けの小説を数多く発表する事で人気を獲得します。『胡沙吹く風』、『天狗廻状』などが有名です。