本郷新(ほんごうしん)
本郷新は1905年12月に
北海道札幌市で生まれました。
やがて14歳の時に札幌第二中学校へ入学。
1928年に東京高等工芸学校工芸図案科
工芸彫刻部を卒業すると、国画創作協会彫刻部の
第7回展において出品した『少女の首』により
初入選を果たしています。
また初入選した同年には、彫刻家の
高村光雲を父に持つ高村光太郎から教わり
その翌年には仏像研究を開始しました。
1939年に入会していた国画会を出ると
上品で優雅な作品で知られている彫刻家の舟越保武。
『平和の母子像』や『夕張市労働会館外壁浮彫』
などが有名な山内壮夫。
鳩像や裸婦立像などが知られている
柳原義達たちと共に、
新制作派協会彫刻部の設立に加わります。
制作活動も積極的に行い、1953年には、
わだつみ会からの依頼で制作した
『わだつみのこえ』が日本平和文化賞を受賞。
1971年には冬季オリンピック記念碑の
『雪華の像』を制作。
1973年には大阪市中之島公園の為の『緑の讃歌』など
平和についてのモニュメントを
多く制作していきました。
そして1980年2月、息を引き取っています。
作風とその背景
本郷新は仏像研究を行うだけではなく
オーギュスト=ロダンやアリスティド=マイヨール。
ブールデルといった西欧諸国の作家についても
多くを学んでいます。
これらの経験を通して写実的に描き
大胆でかつ力強さのある作品を作っていきました。
なお社会の平和運動にも積極的に関わってきた
本郷新は、彫刻作りにおける社会や公共について
強く考えており、平和について訴えた
モニュメント作品を次々と発表してきたのも
この為だと言われています。
影響を受けた西欧の彫刻家
■オーギュスト=ロダン
当時対象物を正確に再現するのが
当たり前だった彫刻において、
その内面性を描くことを重視することで
話題となりました。
■アリスティド=マイヨール
円熟味のある女性像を生涯のテーマとして作っており
裸婦が多く作品は肉感がほどよくある
と評価されています。
またオーギュスト=ロダンは日本の彫刻家に
多大な影響を与えていますが
アリスティド=マイヨールもその一人です。
アントワーヌ=ブールデルや
オーギュスト=ロダンの助手の経験を持ち、
後継者として注目されていました。
しかしアントワーヌ=ブールデルの場合は
ロダンとは違って、マッス感のある
力強い作風として
作品を作り上げていきます。