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2019.11.14
骨董品

本郷新【彫刻家】

本郷新(ほんごうしん)

 

本郷新は190512月に

 

北海道札幌市で生まれました。

 

やがて14歳の時に札幌第二中学校へ入学。

 

1928年に東京高等工芸学校工芸図案科

 

工芸彫刻部を卒業すると、国画創作協会彫刻部の

 

7回展において出品した『少女の首』により

 

初入選を果たしています。

 

また初入選した同年には、彫刻家の

 

高村光雲を父に持つ高村光太郎から教わり

 

その翌年には仏像研究を開始しました。

 

1939年に入会していた国画会を出ると

 

上品で優雅な作品で知られている彫刻家の舟越保武。

 

『平和の母子像』や『夕張市労働会館外壁浮彫』

 

などが有名な山内壮夫。

 

鳩像や裸婦立像などが知られている

 

柳原義達たちと共に、

 

新制作派協会彫刻部の設立に加わります。

 

制作活動も積極的に行い、1953年には、

 

わだつみ会からの依頼で制作した

 

『わだつみのこえ』が日本平和文化賞を受賞。

 

1971年には冬季オリンピック記念碑の

 

『雪華の像』を制作。

 

1973年には大阪市中之島公園の為の『緑の讃歌』など

 

平和についてのモニュメントを

 

多く制作していきました。

 

そして19802月、息を引き取っています。

 

 

 

作風とその背景

 

本郷新は仏像研究を行うだけではなく

 

オーギュスト=ロダンやアリスティド=マイヨール。

 

ブールデルといった西欧諸国の作家についても

 

多くを学んでいます。

 

これらの経験を通して写実的に描き

 

大胆でかつ力強さのある作品を作っていきました。

 

なお社会の平和運動にも積極的に関わってきた

 

本郷新は、彫刻作りにおける社会や公共について

 

強く考えており、平和について訴えた

 

モニュメント作品を次々と発表してきたのも

 

この為だと言われています。

 

 

 

影響を受けた西欧の彫刻家

 

 

■オーギュスト=ロダン

 

当時対象物を正確に再現するのが

 

当たり前だった彫刻において、

 

その内面性を描くことを重視することで

 

話題となりました。

 

 

■アリスティド=マイヨール

 

円熟味のある女性像を生涯のテーマとして作っており

 

裸婦が多く作品は肉感がほどよくある

 

と評価されています。

 

またオーギュスト=ロダンは日本の彫刻家に

 

多大な影響を与えていますが

 

アリスティド=マイヨールもその一人です。

 

アントワーヌ=ブールデルや

 

オーギュスト=ロダンの助手の経験を持ち、

 

後継者として注目されていました。

 

しかしアントワーヌ=ブールデルの場合は

 

ロダンとは違って、マッス感のある

 

力強い作風として

 

作品を作り上げていきます。