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2016/12/17

戸田忠敬―水戸藩尊王の志士―

戸田忠敬とは
―水戸藩の藩政改革に尽力した尊王の志士―

戸田忠敬(1804年~1855年)は、第9代水戸藩主・徳川斉昭の股肱之臣として信頼され、水戸藩の藩政改革に尽力した家老であり、国政にも尽くした尊王の志士でした。

 

藩政改革に取組む時に家老職に就いた忠敬は、藩主・斉昭より「忠太夫」の名を賜りました。

 

忠敬は、1855年(安政2年)に江戸で起きた安政の大地震によって、志半ばで命を落とした藩主・斉昭の輔翼です。

 

・「水戸の両田」と「水戸の三田」と呼ばれた俊傑の一人

忠敬は松本藩主・戸田氏の末裔で、水戸藩士戸田家の第7代御当主にあたります。

 

忠敬は、藤田東湖と共に学識と尊王の志が備わった指導者として「水戸の両田」と言われ、さらに藩主・斉昭の補佐役として藩政改革に一緒に加わった武田耕雲斎も加えて「水戸の三田」とも言われていました。

 

・藩主斉昭の輔翼として水戸藩の藩政改革に活躍

忠敬は、藩主・徳川斉昭を補佐して水戸藩改革に取り組み、海防参与として国政にも貢献しました。

 

1840年(天保11年)2月、忠敬は学校造営懸として弘道館の設立に尽力を尽くしました。

 

半年後の8月には、大寄合上座用達、10月になると学校造営懸として弘道館の学校造営懸総司など水戸藩の要職に就きました。

 

他にも藩主・斉昭が取り組んだ藩政改革の重鎮の一人として、領土内検地、海防準備、学校創設、寺社改革等にも藩政改革に貢献しましたが、斉昭が幕府から幕疑を受けると忠敬も東湖らと一緒に免職となり、蟄居謹慎を命ぜられてしまいました。

 

忠敬は、水戸藩の藩政改革に尽力を尽くしただけでなく、薩摩藩の藩政改革にも大きな影響を与えました。

 

東湖を通じて薩摩藩の西郷隆盛と親交を持つことができた忠敬によって隆盛りは忠敬から幕府の内情を知ることができたので、薩摩藩の藩政改革の必要性を痛切に感じることができました。

 

・安政の大地震による忠敬の死

1855年(安政2年)、江戸で起きた安政の大地震によって、小石川にある水戸藩邸で東湖と一緒にこの世を去ってしまいましたが、孝明天皇は忠敬の死を嘆き、東湖と忠敬を尊敬していた西郷隆盛も肩を落とす結果を招いてしまいました。

 

同時に忠敬の死は藩主・斉昭と水戸藩政改革にも大きな打撃を与えました。

 

藩主・斉昭は水戸藩の藩政改革を行う上で東湖の方針に加え、忠敬の意見を取り入れて藩政改革に取り組んでいたため忠敬と東湖の同時の亡により、斉昭の取り組む藩政改革は、時代に乗り遅れた方針に固執するようになり藩の統制力の衰退の一途を辿る結果となりました。

 

忠敬がこの世を去ってから水戸藩の藩政改革に対する忠敬の志は実弟の水戸藩家老安島帯刀や嫡男で同じく家老の戸田銀次郎に引き継がれていきました。

 

1891年(明治24年)、贈正四位となりました。

 

(まとめ)

忠敬が藩主・斉昭を補佐して取り組んだ水戸藩の藩政改革は、後に諸藩の藩政改革や幕政改革の手本とされました。

 

水戸藩の藩政改革に尽くした忠敬でしたが、安政の大地震による忠敬の死は、水戸藩の藩論や藩政思想の統括力を一層困難にされていったのではないでしょうか。

 

 

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