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2020.03.19
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塩川文麟【日本画家】

塩川文麟(しおかわぶんりん)

 

塩川文麟は1808年に京都で生まれました。

 

なお父は蓮華光院の侍臣として知られており

 

その繋がりで山水画に優れた

 

四条派の代表的人物の一人である岡本豊彦から

 

四条派及び日本画について教えを受けています。

 

また1845年に岡本豊彦が亡くなってからは

 

四条派を引継ぎ、明治維新時代においては

 

四条派の中心的存在となっていきました。

 

他にも1868年に禁裏の絵御用として活躍する

 

国井応文や、俳句についてよく知る中島来章。

 

人物・花鳥画で優れた円山応立達と共に

 

如雲社を立ち上げ、京都画壇としての

 

基盤を固めていきます。

 

また後輩の指導にも優れており、

 

その中の一人としては同じ様に後輩の指導に優れ

 

帝室技芸員ともなった幸野楳嶺がいます。

 

そして18775月、

 

塩川文麟は70歳の頃に息を引き取りました。

 

画家としての代表的な功績には1855

 

安政の御所造営で襖絵の製作に関わったり

 

1876年にフィラデルフィア万国博覧会に

 

作品を出品したこと。

 

また『蛍図屏風』を発表したことなどが挙げられます。

 

 

 

作風

 

塩川文麟は清涼感のある作風として

 

山水や人物、花鳥と様々な種類の作品を

 

手掛けています。

 

・四条派について

 

幕府御用の絵師集団として活躍した

 

狩野派などに代表される今までの流派は

 

その頃の時代になると作品がパターン的に陥っている

 

と非難されるようになっていました。

 

呉春や、また円山派の始祖である円山応挙は

 

その中において写生主義に活路を見出し

 

やがで丸山・四条派として

 

京都を賑わせるようになります。

 

塩川文麟はそこに中国で元・明・清時代に流行った

 

絵画の主流に影響を受けた南画の、

 

自然を奥深い筆のタッチで描く作風を

 

加えていきました。

 

 

 

関連用語の細かい解説

 

・平安四名家の一人

 

塩川文麟は平安四名家の

 

一人としても数えられています。

 

平安四名家には岸派として活躍し

 

活動終盤には四条派の穏やかな作風に変わった岸連山。

 

四条派を立ち上げた呉春の弟の松村景文から

 

教えを受けている横山清暉や中島来章がいます。

 

・如雲社について

 

如雲社は京都に住んでいる

 

画家達を集めて結成しています。

 

如雲社(じょうんしゃ)には帝室技芸員となり

 

塩川文麟が亡くなった後に

 

如雲社を引っ張る形となった森寛斎がいます。