
お電話にてお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
住所 |
〒963-8024 福島県郡山市朝日2-1-16 |
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アクセス | 郡山市役所の近く内環状線沿い |
電話 | 024-953-7725(フリーダイヤル:0120-685-101) |
営業時間 | 10:00~19:00 |
定休日 | 水曜日 |
許可証 | 福島県公安委員会許可 第251300000413号 |
その他の情報 | その他の情報は、特定商法に基づく表記をご覧ください。 |
KURAYA(くらや)郡山店 11/1オープン!
古い蔵の整理や取り壊し時、遺品整理などの数量が多い場合は「出張買取」も行っております。
壊れたブランド品などお客様にとって価値のないようなもの、古い物や切手・着物・洋食器・骨董品など幅広く高価買取しておりますので、まずはお気軽にご相談くださいませ。
郡山での買取ならKURAYA(くらや)郡山店へ!
買取品目
買取実績
絵画には「タトウ箱」や「黄袋」が付属していることがあります。また人気作家の作品では発売時に作品証明書が発行されていることがあります。購入時の付属品が一緒にあることで査定金額UPにつながります。 掛軸の場合、近現代の作家のものだと「共箱」に収まっている方が査定が高くなります。江戸時代の古画ではこの共箱がありませんが、代々家に伝わってきたものだと古い伝世の箱やお蔵の中で大事にされてきたものだと蔵番札が付いていることがあります。いづれも時代考証の役に立つものなので一緒にお持ち下さる方が良いと思います。 勿論、絵画や掛け軸では真贋が最も重要なポイントですが、古いものはではその様子もまた重要なポイントになります。 ※「タトウ箱」とは額縁などを収める箱で、作者や画廊のシール等貼られているものもあります。 ※「共箱」とは作家自身でその木箱に署名(箱書き)したものを指します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★箱
★作品証明書
茶道具、煎茶道具では箱に収まっているものは必ず箱と一緒にお持ちください。例えばお茶碗だと本体・共箱(その作品のための専用の木箱)・共布が揃っています。これは茶碗本体に作家の印(陶印)があり、箱には作家のサインと印があり、近年の工芸作家のものだと茶碗を包む布にも押印されています。 また書付のあるお道具は二重箱になっているものがあります。書付とは茶道の家元や高僧が作品の名前を書き記したもので「書付箱」といわれます。書付箱は茶碗・水指・棗・香合・茶杓や掛物などあらゆるお道具に存在します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布
★書付箱、二重箱
★誂えの良い古布に包まれている場合はそのままご一緒に
宝石やジュエリーでは、ダイヤモンドのグレーディングレポートや鑑別書、ブランドのギャランティ等の証明書や箱などの付属品が揃っている方が査定額のアップが期待できます。 宝石やジュエリーにもハイブランドの製品があります。箱やブティックの販売証などがあれば一緒にお持ちいただくことで高評価となります。 また、時計は箱と保証書も一緒にあれば査定額がアップします。購入時の付属品としてベルトの余りコマや取扱説明書などもあれば査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ダイヤモンド → グレーディングレポート
★ジュエリー → 鑑別書や鑑定書
★ブランドジュエリー → 箱や保証書、ブティックの販売証明書
★時計 → 箱、保証書、ベルトの余りコマ、取扱説明書などの付属品
日本刀で一番重要なものは「登録証(銃砲刀剣類登録証)」です。 刀と登録証は必ず合っているものです。複数お持ちの方で刀と登録証が混ざってしまいどれがどれか判らなくなった場合はご相談下さい。 また鑑定書がある場合は、必ずお持ちください。査定金額のUPが期待できます。 鑑定書には新旧2種類があります。旧タイプのものは「貴重刀剣」「特別貴重刀剣」「甲種特別貴重刀剣」があり、新タイプのものは「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」などがあります。 稀に古い古文書のようなもので極めが書かれた折紙が付属している刀もあります。
必ず一緒にお持ちいただくもの。
★登録証(銃砲刀剣類登録証)
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★鑑定書・・・貴重刀剣、特別貴重刀剣、甲種特別貴重刀剣、保存刀剣など。
★箱や伝来書、極め折紙、古くからあるものはそのまま一緒に。
ブランド品には「ギャランティカード」という各ブランドが品質を保証している保証書が付属しています。お使いになるなかで紛失されていることがありますが、あれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。また購入時には保存袋や外箱、ブティックの販売証などもありますので付属品として一緒にお持ちいただけると査定額にプラスされます。他にものブランドのノベルティがあれば更に査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ギャランティカード
★保存袋や外箱
★ブランドのノベルティグッズ
有名百貨店では人間国宝や文化勲章受賞の作家、その当時に注目されていた作家や人気の高い作家の個展を行っていました。それぞれの作品には専用の木箱が用意され作品名や作家のサインが書かれています。これを「共箱」といいます。共箱は作品を運搬する際の保護にも必要ですし、作家直筆のサインもありますので価値のあるものです。 また、個展ではカタログが発行されていることが多く、もしあれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布、解説書
★個展のカタログ
★百貨店の領収書や販売証など
実家の片付けをした際に、古いものが沢山出てきました。
「どうしようか…」と途方に暮れていたところ、インターネット検索で『くらや』さんを発見。
買取店を利用するのは初めてでしたので、とても不安でした。
恐る恐る電話で問い合わせをしてみると、丁寧に説明をしてくれました。
その後、お店に持って行くことに…。
私にはさっぱりわからない物ばかりでしたが、お店の方が一つ一つ丁寧に、どのように使われる物で、どの位の年代の物なのか、そしてどの位の価値があるものなのか、ということを教えてくれました。
私が処分しようと考えていた物は、実はとても価値が高いことが判明。
改めて「くらやさんに電話して良かった」と思いました。
査定の金額も想像以上で、驚いています。
丁寧な説明と応対。
そして、買取の金額全てに満足です。
亡くなった祖父が大事に集めていた物です。
古いお金や記念硬貨ということは私にもわかるのですが、一体どのぐらいの価値があるのか知りたかったので『くらや』さんに来ました。
ちょっと前に、他のお店へバッグを売りに行ったことがあります。
その時のイメージでしたが『くらや』さんは全然違いました。
以前、行ったお店では、バッグを見せるとお店の方が金額を提示してくれ「その金額で買取します」と言われて終わりでした。
『くらや』さんは、物を見てくれている時も「これはいつ頃のもので、現在だとこのぐらいの価値がありますよ」とか「これは非常に珍しいもので、金額もこのぐらいになります」と、一つ一つ丁寧に説明をしてくれました。
買取店の方は、皆スーパーのレジの人みたいな感じかな…。と勝手に思っていましたが『くらや』さんのスタッフさんは全然違いました。相談もしやすいと思います。
亡くなった祖父が大事にしていたものなので、当然、価値は知りたかったのですが、それ以上に色々なことを教えてもらいました。有難うございます。
死んだ父親から譲り受けた物です。
有名な人の作品だと聞いていましたが、私には誰が書いたか分かりませんでした。
一度、専門家に見て貰いたいと思ったので、インターネットで調べお店に来ました。
私が一番驚いたのは、お店の方が物を扱う丁寧さです。何も説明せずに「見ていただきたいのですが?」とそのまま渡したのですが、箱から取り出す時も、掛け軸を広げる時も丁寧に扱ってくれ、元通りにしまう時は私が持ってきた時以上に綺麗にしまってくれてました。
説明も非常に丁寧にしてくれ、書いた人の名前やいつ頃に描かれたものなのか、わかり易く教えていただきました。買取の金額も想像より高く「是非に」と、こちらからお願いさせていただいた程です。
専門家にみて貰える安心感と、物の扱い方の素晴らしさは感激でした。
随分前に亡くなった祖母が使っていたものです。
今、色々なところで金が高いとか、貴金属が売れるとかよく見かけるので、処分することにしました。
何件か見てもらいましたが、他のお店では「取り扱いできないものもある」とか「値段がつけられないものがある」とか言われました。
『くらや』さんでは、全て丁寧に見てくれ、きちんと全部買取もしてくれました。
買取の金額も他のお店で聞いた価格より、高く買取ってくれたので大満足です。
お店に行く前も電話をしたのですが、その時もお店の場所やこちらの質問にも丁寧に答えてくれて、安心できました。
よくある質問
買取させて頂いたお品物の返品は、誠に申し訳ございませんがお受けできません。
キャンセル料金は頂いておりません、お気軽にご相談ください。
対応致します。ご連絡を頂ければ予定変更は可能ですのでお気軽にご連絡ください。
出張買取をさせて頂いたお品物はクーリングオフが適応致します。買取日から8日間以内にご連絡を頂ければ返品の対応を致します。
対応致します。お気軽にご相談ください。
対応致します。出張料金は無料ですので、お困りの際はお気軽にご相談ください。
お問い合わせ
お電話にてお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
営業時間:10:00~19:00
対応エリア
福島県郡山市(こおりやまし)、福島県須賀川市(すかがわし)、福島県会津若松市(あいづわかまつし)、福島県喜多方市(きたかたし)、福島県福島市(ふくしまし)、福島県伊達市(だてし)、福島県いわき市(いわきし)、福島県相馬市(そうまし)、福島県南相馬市(みなみそうまし)、福島県伊達郡桑折町(だてぐんこおりまち)、福島県伊達郡国見町(だてぐんくにみまち)、福島県伊達郡川俣町(だてぐんかわまたまち)、福島県安達郡大玉村(あだちぐんおおたまむら)、福島県岩瀬郡(いわせぐん)、福島県南会津郡(みなみあいづぐん)、福島県耶麻郡猪苗代町(やまぐんいなわしろまち)、福島県耶麻郡磐梯町(やまぐんばんだいまち)、福島県耶麻郡西会津町(やまぐんにしあいづまち)、福島県耶麻郡北塩原村(やまぐんきたしおばらむら)、福島県河沼郡(かわぬまぐん)、福島県大沼郡(おおぬまぐん)、福島県石川郡(いしかわぐん)、福島県二本松市(にほんまつし)、福島県田村市(たむらし)、福島県本宮市(もとみやし)、福島県福島県田村郡三春町(たむらぐんみはるまち)、田村郡小野町(たむらぐんおのまち)、福島県白河市(しらかわし)
※出張内容によっては、ご相談させていただく場合もございます。
福島県は東北地方の中で南端に位置し、面積の広さは全国で3番目の大きさを誇ります。
天鏡湖と呼ばれる猪苗代湖は県のほぼ中央にあり、北にそびえる磐梯山は「会津磐梯山は宝の山よ」と民謡にも歌われ、冬はスキーリゾートが楽しめる全国的にも有名な山です。
県の県庁所在地を福島市に置き、福島県は3つの地域に分けられ、県の中央を南北に伸びる奥羽山脈の西側が〈会津地方〉。奥羽山脈と阿武隈山地に挟まれる地域は〈中通り〉。阿武隈山地の東側に位置する地域が〈浜通り〉に分類されます。中でも中通りは、福島空港や東北新幹線が縦断する交通の要所、福島県の人口の半数以上が集中する地域です。
産業では第一次産業で農産物は、会津産のコシヒカリをはじめ、献上桃(皇族や宮家に献上される桃)に指定されるなど、品質が高いことでも知られています。また、水産業ではいわき市のカツオに郡山市の養殖鯉などが主要産物です。
第二次産業では、電子機器関係の工場が多く、首都圏に隣接している利便性から県内に多く企業を誘致。
第三次産業では、郡山市が経済地域でとして発展し商都と呼ばれています。
古の時代から人々が暮らす福島県は、古旧石器時代(2万2000年以上前)の地層から使用された石器群が出土。大和朝廷の北限は古代の福島県域まであり、蝦夷圏との境界でした。近畿や関東から開拓のために移民が盛んに行われています。701年の大宝律令では陸奥国となり、平安時代末期、福島県全域は奥州藤原氏が支配しました。鎌倉時代では源頼朝が奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼすと、福島県内は関東武士団の伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏などに分けられました。
その後、伊達政宗により浜通り以外の殆どの地域を統治されましたが、豊臣秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は本領以外没収。会津には蒲生氏郷が置かれました。
1643年松平家初代の保科正之が入封すると、松平氏の会藩統治は戊辰戦争まで続きます。廃藩置県により分離と統合を繰り返し、1876年福島県、若松県、磐前県が合併され現在の福島県が誕生しました。
福島県内に観光地は多く、会津西街道の宿場町として栄えた大内宿には、藁葺きの民家が30軒程遺されており江戸時代の気分を味わえます。
いわき市にあるハワイをイメージした大型レジャー施設のスパリゾートハワイアンズは、季節を問わずプールや温泉が楽しめると話題。東北地方最大級の水族館のアクアマリンふくしまは、福島の海に恵みをもたらす潮目をテーマした水族館です。8000万年の歳月が創り出したあぶくま洞は、全長600mの鍾乳洞。磐梯炭田の歴史と市内で発掘された化石を展示するいわき市石炭・化石館には、恐竜の全身骨格標本が展示され迫力満点です。会津喜多方ラーメン館は、工場見学はもちろん、ラーメングッズでいっぱいの話題のスポット。郡山市の奥座敷で知られる磐梯熱海温泉は、美人の湯と称される名湯です。
東北を代表する飯岡温泉は、松尾芭蕉が立ち寄ったとされ奥州三名湯の1つに数えられています。
福島県の伝統工芸品では、会津漆器の会津塗や陶磁器の大堀相馬焼、会津本郷焼があり、伝統家具には二本松市の二本松箪笥。
郷土玩具では、郡山市の三春駒や会津地方の赤べこなどがあります。
古くから地域のお祭りとして行われ、国の重要無形文化財に指定されているのは、いわき市の民族芸能で錦町御宝殿の熊野神社へ奉納される、御宝殿の稚児田楽・風流。相馬市で行われる相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の三つの妙見社の祭礼で行われる相馬野馬追などがあります。
郡山市は福島県の中でも中央に位置し、人口約33万人を誇る経済を支える中心都市です。
西には猪苗代湖を東は阿武隈山地を有し、北には活火山の安達太良山に接しています。
郡山駅前に建つ、県内で最も高いビルのビッグアイは地域のランドマーク的な存在です。商業施設には、うすい百貨店をはじめ、駅近のファッションビルとしてATi郡山や複合型商業施設の郡山東ショッピングセンターなど多数を誘致。
また、交通の利便性にも優れており、JR東日本の東北新幹線や東北本線、磐越東線磐越西線や水郡線がに加え、東北自動車道や磐越自動車道が縦横に走ることから陸の港と呼ばれています。
江戸時代には、奥州街道の郡山宿として発展。明治時代に開拓した安積疏水をきっかけに、都市化が進みました。
また、郡山は音楽活動が盛んな町として、楽都郡山をキャッチフレーズに情報発信を行っています。
安達太良山の麓に広がる郡山は、東北最古の地ウイスキー蒸留所を持つ笹の川酒造があり酒造見学が可能です。
伝統工芸品には、郷土玩具の三春駒や和紙を何枚も重ねて作る張子人形、海老根伝統手漉和紙があります。
磐梯熱海温泉は、磐越三美人湯に数えられる泉質の良い温泉地で知られ、国内外の要人も訪れる保養地です。
本宮市は福島県の中央あたりに位置し、市の南北を阿武隈川が縦断します。東には阿武隈山系がそびえ、西には安達太良山からなる山々を有する、豊かな自然に恵まれた地域です。
JR東日本の東北本線が通り、東北自動車道の本宮ICを配置。工業団地にはアサヒビールを誘致しています。団地の造成が進むと、北郡山ニュータウンを建設。
子育てしやすい街を目指し、安達太良川と阿武隈川の合流地点にはみずいろ公園とよばれる親水広場を設置しています。
岳山ふれあいの森は、キャンプやバードウォッチング、森林浴に散歩など市民が訪れる癒しのスポットとして人気です。
本宮市には、旧街道の会津街道や三春街道、相馬街道が置かれ、宿場町として本宮宿が栄ました。江戸時代には二本松藩が統治しています。本宮市の見どころも沢山あり、平安時代からの歴史ある安達太良神社は、5月1日には御神楽の奉納があり10月には裸神輿を開催。本宮市の名は、安達太良神社に由来しているといわれています。樹齢600年を誇るエドヒガンザクラの塩ノ崎の大桜は、高さが18mあり県の天然記念物に指定されました。
また、花と歴史の郷蛇の鼻にある蛇の鼻御殿は、狩野派の絵師たちに描かれた襖絵をはじめ、伊藤博文や木戸孝允の書が収蔵され国の有形文化財に登録されています。名産品である本宮の烏骨鶏やとろろ芋は絶品と話題です。
二本松市は、福島県の中央部からやや北寄りに位置する街です。西の安達太良山麓と東の阿武隈地域に挟まれ、市の中央を阿武隈川が流れます。
JR東日本の東北本線が走り、東北自動車道の二本松ICを配置。産業では、300年の伝統を誇る二本松箪笥があり、江戸時代に行われたお城の大改修時に調度品を手掛けたのが始まりとされています。
日本酒の酒蔵として古くからある奥の松酒造や人気酒造、大七酒造は地域に根付き愛されてきた酒造メーカーです。
二本松市の歴史は古く、室町時代に足利尊氏に付き従った畠山高国が構えた事で知られています。
その後、戦国の世になると伊達政宗により伊達領へ…。江戸時代には丹羽家が入城し、その後11代続きます。
戊辰戦争の二本松の戦いで、丹羽茂正は二本松城に火を放ち自刃。城を枕に討ち死にした藩は、二本松藩だけといわれています。
二本松市に観光地の数は多く、霞ヶ城公園は桜の名所として有名です。
秋には菊人形の祭典も開催され、多くの観光客で賑わいます。
二本松神社の例大祭、日本三大提灯祭りの一つに数えられる二本松提灯祭りは、1台の太鼓台に300個程の紅提灯が架けられ秋の夜が豪華に彩られるお祭りです。
温泉地では、標高1400mのくろがね温泉や湯川渓流や森林に囲まれた塩沢温泉があります。中でも岳温泉は隠居中の水戸光圀も訪れた歴史ある名湯です。温泉街には旅館やホテルが軒を連ねます。
偉人では、女流洋画家で高村光太郎の妻で智恵子抄で有名な高村智恵子や日本画家の大山忠作を輩出しました。
田村市は、福島県の中程に位置し、阿武隈高原特有の丘陵地帯が特徴的です。全体の62%を山林が占め、自然度の高い環境を有します。
JR東日本の磐越東線が走り、磐越自動車道の田村スマートICや船引三春ICが配置され、主要都市とのアクセスも向上しました。
田村市に語り継がれるのは、大多鬼丸の部下だった武道に優れた兄の鬼五郎と兄亡き後の治世を行った幡五郎の逸話です。蝦夷討伐に訪れた坂上田村麻呂は陸奥の平定を大義に掲げ、この地にも攻め入りました。この地を守ろうと戦った兄弟は死んでもなお、鬼になって見守り故郷を愛する英雄として地域の人々の胸に生き続けています。
その後、子孫である田村氏は豊臣秀吉が行った奥州仕置きまで、この地を田村郡として治めます。
江戸時代の会津藩から三春藩に変わると、都路あたりは、積極的に開墾。山林原野が豊富なことを活かし、馬の生産を行っていました。
市内には、歴史的文化財が数多く残されています。
室町時代に建立された堂山王子神社は、重要文化財に指定。萬歳山入水寺は、坂上田村麻呂が戦勝祈願をした寺と伝られ、地内には入水三十三観音の磨崖仏が山中の険しい箇所に祀られています。
身の丈4mにもなり魔除けの役割を担って、江戸時代に建てられた船引のお人形様は迫力満点です。
田村市の見どころでは、8000万年の歳月をかけ自然に出来た造形美で知られる、全長600mにもなる鍾乳洞のあぶくま洞は外せません。
口径65センチの天体望遠鏡を備える星の村天文台。山腹から臨む星空は、肉眼でも息を呑む美しさと評判のスポットです。
猪苗代町は、福島県の中央に位置し、人口約1万3500人程の町。
JR東日本の磐越西線が通り、磐越自動車道の猪苗代磐梯高原ICを配置し、裏磐梯への玄関口として交通上重要な役割を果たします。
南のエリアは猪苗代湖に面し、湖には毎年3000羽の白鳥が飛来。日本百名山の磐梯山、吾妻山、安達太良連峰の3山を抱えます。
季節ごとに感じられる豊かな磐梯高原の恵みは、冬はウインタースポーツの聖地として人気です。沼尻スキー場や猪苗代スキー場には、多くのスキーヤーが訪れます。
また、アスリートの合宿地で知られ、国際大会の開催地に、町内のスキー場が選ばれました。
地域の歴史では、鎌倉時代に猪苗代城(亀ケ城)が築城され、猪苗代氏が400年間支配。江戸時代では会津藩に属し、二本松街道の猪苗代宿として栄えました。
戊辰戦争においては、母成峠が合戦地となり現在は供養する慰霊碑が建てられています。
猪苗代町は、国指定の需要文化財も多く遺されており、天鏡閣は、明治時代に皇族の別邸として建設され、山腹の会津藩松平家墓所は、二代藩主から幕末の九代藩主までが葬られ国の史跡に指定されました。
偉人では、千円の肖像画でお馴染みの世界的医学者野口英世を輩出しています。
会津若松市は、福島県西部に位置し、自然環境に恵まれた会津エリアに位置する中心都市です。
総面積が103.3平方キロメートルもある猪苗代湖があり豊富な水を湛えています。
かつては、幻の温泉郷とまでいわれた芦ノ牧温泉あり、古の時代から愛されてきました。
会津の民藝品といえば、赤べこ・起上り小法師・会津本郷焼・会津漆器は有名です。
JR東日本の磐越西線と只見線と会津鉄道の会津線を設置し、磐越自動車道の会津若松ICと磐梯河東ICを置きます。
都市としての起源は、1384年の蘆名直盛が黒川城(若松常)を築城したことから始まり、城下町の黒川は当時の奥州最大の都市でした。
1590年の豊臣秀吉による奥州仕置きにより、黒川は伊達氏に取り上げられ蒲生氏郷が領地を与えられます。黒川から若松へ町の名を改めてのはこの頃です。7層(現在は5層に改築)の天守がある城を築き、氏郷の幼名と蒲生家の舞鶴の家紋にちなみ鶴ヶ城と名付けます。
1643年徳川秀忠の子の保科正之が、会津松平家の祖となり、会津藩の城下町として発展しました。
その後、戊辰戦争で激しい攻防戦に耐えた鶴ヶ城と自刃した白虎隊は語り継がれ、現在でも鶴ヶ城と白虎隊の霊廟はを多くの人が訪れます。
その他にも観光地として、1796年に飯岡山に建立された六角三層のさざえ堂や、戊辰戦争の本陣となり、建物のあちこちに弾痕や刀傷が遺される旧滝沢本陣は、国の重要文化財に認定される史跡です。
須賀川市は、福島県の中央に位置し、東の阿武隈山地と西の奥羽山系の間に平坦地が広がる、阿武隈川と釈迦堂川が流れる緑豊かな地域です。
JR東日本の東北本線と水郡線が走り、東北自動車道の須賀川ICを配置します。
県内唯一の福島空港を開港し、国内線や国際線を就航する空の玄関口を有する臨空都市です。
主な産業は、電気機械器具やプラスチック、電子部品などの工業品の製造が中心。須賀川市の歴史は古く、旧石器時代の乙字ケ滝遺跡や奈良・平安時代の上人壇廃寺跡の史跡が配され、東北の要衝地だったことがうかがえます。
鎌倉時代からは、二階堂氏が治める須賀川城の城下町として繁栄してきましたが、伊達政宗に攻められ落城。
江戸時代に白川藩となってからは、奥州街道の宿場町として栄えました。
俳句が盛んだったこともあり、松尾芭蕉が須賀川宿に訪れたことを、奥の細道へ残しています。
観光には、国の名勝に指定され、大輪の牡丹を7000株有する須賀川牡丹園。
和田大仏及び横穴墓群は、弘法大師が三鈷をもって彫ったと伝えられています。
祭事では、日本三大祭りの一つとされ、二階堂家の霊を弔う伝統行事として松明あかしが有名です。
偉人には、版画家の亜欧堂田善、1964年東京五輪マラソンの銅メダリスト円谷幸吉、特撮の神様と称されるウルトラマンでお馴染みの円谷英二を輩出しています。