店舗案内
埼玉県

くらや 上尾店

【即日現金対応】高価買取、出張・店頭・宅配査定無料

査定だけでもOK!年間買取実績3万点以上。経験豊富な古物商の鑑定力が評判です。

  • くらや上尾店が、旧中山道沿いに2018年4月オープン!!
    上尾駅東口徒歩2分!!

    お車でお越しの方にも店舗横に無料駐車場有!!
    満車時はすぐ隣ファミリーマートのあるビルの立体駐車場にお止め下さい。無料チケットをお渡しいたします。

    豊富な経験を活かし価値のある商品を見極めます。
    「えっ?これ売れるの?あぶない!捨てるとこだった!!」
    「これお宝ですよ!!」
    なんてことは全然珍しくありません。

    貴金属、骨董品、軍装品、美術品、切手、中国切手、古銭、遺品整理、ブランド、時計、その他古物、アンティーク全般など壊れていても構いません。

    初めてのお客様でも安心して頂けるよう、信頼・親切・丁寧・安心・ご納得のいく査定買取りをさせて頂きます。
    もちろん査定は無料です。

    遺品整理のお手伝いから、コレクション収集品の売却相談、空き家の残置物買取りなど、様々なご相談に乗らせていただきます。
    どうぞお気軽にご来店下さい。
  • スタッフ写真

  • 竹井 信二

上尾店買取強化
ランキング

第1位
三代徳田八十吉

骨董品

三代徳田八十吉

担当スタッフより

現在、片付けをしているお客様が非常に多く人間国宝の作品を数多く買取りさせていただいております。特に多いのが、実家の片付けをしている方でリビングに小さい頃から飾ってあったが作者などは良くわからず、処分に困りお持ちいただくケースです。人間国宝の作品はバブル期にブームがあり大量に販売されていました。当時景気がよく皆が憧れ高額で購入しリビングや応接室などに飾られていました。バブル崩壊後は景気も悪く、あまり売れなくなったと言われておりますが、現在も人気が高い方は数多くいます。三代徳田八十吉のその一人です。三代徳田八十吉は九谷焼の人間国宝で、九谷焼に新しい風を巻き起こした人物です。代表的な九谷焼は鮮やかな五彩と色絵で豪快に書かれたものがほとんどで、その歴史は江戸時代初期から始まったと言われています。江戸時代初期の作られた九谷焼を古九谷といい、その時期の文献など非常に少なく、多くの人が古九谷を再現しようと長年努力してきました。その中で初代八十吉が唯一、古九谷の五彩を再現することに成功しました。五彩とは赤色・黄色・緑色・青色・紫色のことです。三代徳田八十吉は初代八十吉の孫そして生まれ、初代より古九谷の色の秘伝を伝授さらました。しかし、三代徳田八十吉は五彩は作りたがらず五彩の赤を除く四色をベースとした釉薬のグラデーションで光り輝く色を表現しました。これを、耀彩(ようさい)と呼びます。1991年(平成9年)に重要無形文化財「彩釉磁器」保持者(人間国宝)に認定されました。三代徳田八十吉の耀彩は海外でも高く評価されています。三代徳田八十吉の作品は数多く作られ、百貨店などで数多く販売されたため、多くの方の手に渡ったため、今もお持ちの方が作家です。三代徳田八十吉の耀彩は今でもとても人気であり、高額で買取りすることが出来る商品です。お持ちの方は、是非一度ご連絡、ご相談など何でもお気軽にお問い合わせください。また、箱がなく作者のわからない陶器や古くよくわからない置物など、よくわからず片付けの際、捨ててしまうことが多くあるそうです。使わないし、よくわからないから捨ててしまうのではなく、捨てずに「くらや上尾店」にご連絡ください。商品に関わらず、遠方でも無料で出張査定いたします。

買取価格:1,100,000円

第2位
金・プラチナ

金・プラチナ

金・プラチナ

担当スタッフより

金相場が高騰し、過去の40年を見ても最高値を更新というニュースをよく目にすると思います。お気づきの方も多いかもしれませんが、まさに今、買取りで熱いのが貴金属・宝石・ジュエリーです。正直、金がこんなに高くなるとは思ってもいませんでした。貴金属・宝石・ジュエリーのお持ち込みも多く現在、買取りを強化しています。以前に増して高価買取中です。よろしくお願いいたします。さて金は、何故これほどまでに価値があるのかご存知でしょうか。理由は、その圧倒的な希少性です。世界の金の採掘量は190000トンほどといわれています。190000トンといってもピンとこないと思いますが、これは実はプール4杯分くらいしかないのです。現在、地球に埋蔵されている金は50000~60000トン位ではないか…ともいわれています。また、現在年間3000トンのペースで採掘され、このまま採掘を続ければ20年程度で枯渇する可能性があります。ですので、需要の約三分の一はリサイクルによって賄われているのです。ジュエリーをはじめ、パソコンやスマートホン、置物などに使われている金を回収して再使用しています。また、新たな鉱脈の探査もしていますが、その多くが深い海の底など…。発掘がとても困難なところも多く費用が掛かりすぎてしまうことから採掘をあきらめてしまうこともあるそうです。ちなみに、日本近海には未開拓の鉱脈があると言われており、その量は6800トン程と言われています。これは全世界埋蔵量の15%ほどになる為、もし採掘が出来ればすごいことになりますね。このように、全世界的に見ても限りある資源、だからこそ価値があるというわけです。また、金は株などとは違い価値が一気に0になる事は考えづらく、経済危機などが発生すると安全資産として金を保有したいと考える人も増えます。そうしたことが金相場の高騰の要因の一つといわれているのです。昔に買って今は使っていないジュエリーや壊れてしまったネックレス、金歯や歯医者さんで使う金パラなどがありましたら是非一度ご相談ください。

買取価格:2,580,000円

第3位
Leica Q2

カメラ

Leica Q2

担当スタッフより

ライカは世界最高峰ともカメラの頂点とも言われ、カメラ好きはもちろん、カメラに興味がない方も一度は聞いたことある名前だと思います。ライカの始まりはドイツ(フランクフルト)の小さな町ウィッツラーで、元々は光学機器(顕微鏡など)を開発していた会社でライツ社です。ライツ社は1849年エルンスト・ライツ一世により作られたました。光学機器の開発をしていた会社が、なぜ誰もが聞いたことあるカメラメーカーにまで成長したかというと、オスカー・バルナックという一人の技術者が入社したことがきっかけだと言われています。オスカー・バルナックは前社を体が弱いことから退社したそうです。当時のカメラはとても大きく三脚がないと撮影できませんでした。そこで体の弱いバルナックはもっと小型で自分でも楽に扱えるカメラが欲しいと考えました。そして、35mmフィルムカメラが生れました。因みに、ライカという名前の由来はライツ社のカメラという意味で、Leitz+Camera=Leicaで両方の頭の部分を取ってライカとつけました。ライカのカメラはなぜ高いのかというと、カメラ職人が一つ一つ手で作っていることから生産台数が極端に少ないからです。手で丁寧に作りアルミや真鍮を削り出すところから始まります。熟練した技術で丁寧かつ慎重に研磨して作られるのです。さらに、ドイツの人件費は高く、コストが掛かる為どうしても高額になってしまうものが多いと言われています。数々の名機を生み出しているライカですが、その中でも代表的なのが、1954年に発表された「ライカM3」です。ライカM3はレンジファインダーカメラとして当時最高技術をほこり、そのクオリティの高さに日本のカメラメーカーは勝ち目がないと思い開発方針を一気に一眼レフカメラに転換したといわれるほどです。ライカは名機や限定なども多く、高額買取になる事が多いお品物です。お持ちの方は、是非一度ご相談ください。

買取価格:460,000円

お客様の声

40代女性

★★★★☆

父の残した刀の出張買取をお願いしました。電話をした翌日にすぐ来てくれました。父の趣味で刀が何本かあるのは知っていましたが、刀は危なそうで母も私も触るのが怖くずっとそのままになっていました。母も高齢の為、そろそろ整理をしないとと思い依頼しました。刀と登録書がバラバラのなってしまっていたらしく、かなり大変そうでしたがいや顔せずにしっかりと査定してくれました。他にも、壷や絵画なども買取って頂きとても助かりました。

60代男性

★★★★★

茶道具

母の所有していた茶道具の買取をお願いしました。高価な品と聞いていたので、一括見積サイトを利用し複数社に見てもらいました。それぞれ得意不得意があるのか、値段がこんなに違うとは思いませんでした。「くらや」さんは値段も一番高く、何よりやさしく色々と教えてくれたのがうれしかったです。実家にまだ大量にあるので、また利用したいと思います。

50代男性

★★★★☆

骨董品

生前父の趣味で集めたよくわからない骨董品が大量にあり、処分しようとしているときに、偶々TVに「くらや」の鑑定士が出ているのを見て、思い切って連絡してみました。ただの皿かと思っていたものが、初期伊万里というものだったらしく、高額の値が付きびっくりしました。父の残した遺品を、しっかり価値のわかる方に見てもらえてとてもよかったです。

60代女性

★★★★★

貴金属

自粛中で片付けた際に出てきた母からもらったアクセサリーを見てもらいました。いままで買取店を利用したことがなくどこに行っていいかわからなかったので、インターネットで検索してこちらのお店の評判がいいので利用させて頂きました。スタッフの方がとても話しやすく、査定もスムーズで良かったです。何より目の前で一つ一つ丁寧に査定してくださり安心しました。今、金の値段が高いらしく予想よりも高くよかったです。

高く買い取ってもらうポイント

絵画・掛け軸

絵画には「タトウ箱」や「黄袋」が付属していることがあります。また人気作家の作品では発売時に作品証明書が発行されていることがあります。購入時の付属品が一緒にあることで査定金額UPにつながります。 掛軸の場合、近現代の作家のものだと「共箱」に収まっている方が査定が高くなります。江戸時代の古画ではこの共箱がありませんが、代々家に伝わってきたものだと古い伝世の箱やお蔵の中で大事にされてきたものだと蔵番札が付いていることがあります。いづれも時代考証の役に立つものなので一緒にお持ち下さる方が良いと思います。 勿論、絵画や掛け軸では真贋が最も重要なポイントですが、古いものはではその様子もまた重要なポイントになります。 ※「タトウ箱」とは額縁などを収める箱で、作者や画廊のシール等貼られているものもあります。 ※「共箱」とは作家自身でその木箱に署名(箱書き)したものを指します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★箱
★作品証明書

茶道具

茶道具、煎茶道具では箱に収まっているものは必ず箱と一緒にお持ちください。例えばお茶碗だと本体・共箱(その作品のための専用の木箱)・共布が揃っています。これは茶碗本体に作家の印(陶印)があり、箱には作家のサインと印があり、近年の工芸作家のものだと茶碗を包む布にも押印されています。 また書付のあるお道具は二重箱になっているものがあります。書付とは茶道の家元や高僧が作品の名前を書き記したもので「書付箱」といわれます。書付箱は茶碗・水指・棗・香合・茶杓や掛物などあらゆるお道具に存在します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布
★書付箱、二重箱
★誂えの良い古布に包まれている場合はそのままご一緒に

宝石・ジュエリー

宝石やジュエリーでは、ダイヤモンドのグレーディングレポートや鑑別書、ブランドのギャランティ等の証明書や箱などの付属品が揃っている方が査定額のアップが期待できます。 宝石やジュエリーにもハイブランドの製品があります。箱やブティックの販売証などがあれば一緒にお持ちいただくことで高評価となります。 また、時計は箱と保証書も一緒にあれば査定額がアップします。購入時の付属品としてベルトの余りコマや取扱説明書などもあれば査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ダイヤモンド → グレーディングレポート
★ジュエリー → 鑑別書や鑑定書
★ブランドジュエリー  → 箱や保証書、ブティックの販売証明書
★時計 → 箱、保証書、ベルトの余りコマ、取扱説明書などの付属品

日本刀

日本刀で一番重要なものは「登録証(銃砲刀剣類登録証)」です。 刀と登録証は必ず合っているものです。複数お持ちの方で刀と登録証が混ざってしまいどれがどれか判らなくなった場合はご相談下さい。 また鑑定書がある場合は、必ずお持ちください。査定金額のUPが期待できます。 鑑定書には新旧2種類があります。旧タイプのものは「貴重刀剣」「特別貴重刀剣」「甲種特別貴重刀剣」があり、新タイプのものは「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」などがあります。 稀に古い古文書のようなもので極めが書かれた折紙が付属している刀もあります。
必ず一緒にお持ちいただくもの。
★登録証(銃砲刀剣類登録証)
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★鑑定書・・・貴重刀剣、特別貴重刀剣、甲種特別貴重刀剣、保存刀剣など。
★箱や伝来書、極め折紙、古くからあるものはそのまま一緒に。

ブランド品

ブランド品には「ギャランティカード」という各ブランドが品質を保証している保証書が付属しています。お使いになるなかで紛失されていることがありますが、あれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。また購入時には保存袋や外箱、ブティックの販売証などもありますので付属品として一緒にお持ちいただけると査定額にプラスされます。他にものブランドのノベルティがあれば更に査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ギャランティカード
★保存袋や外箱
★ブランドのノベルティグッズ

百貨店でご購入された作家のもの

有名百貨店では人間国宝や文化勲章受賞の作家、その当時に注目されていた作家や人気の高い作家の個展を行っていました。それぞれの作品には専用の木箱が用意され作品名や作家のサインが書かれています。これを「共箱」といいます。共箱は作品を運搬する際の保護にも必要ですし、作家直筆のサインもありますので価値のあるものです。 また、個展ではカタログが発行されていることが多く、もしあれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布、解説書
★個展のカタログ
★百貨店の領収書や販売証など

最近の店舗別買取ブログ

よくある質問

店舗買取

店舗で買取した品物は返品できますか?

買取させて頂いたお品物の返品は、誠に申し訳ございませんがお受けできません。

出張買取

出張買取のキャンセルをしたいのですがキャンセル料金は掛かりますか?

キャンセル料金は頂いておりません、お気軽にご相談ください。

出張買取の予定を変更できますか?

対応致します。ご連絡を頂ければ予定変更は可能ですのでお気軽にご連絡ください。

出張買取後に買取した品物は返品可能ですか?

出張買取をさせて頂いたお品物はクーリングオフが適応致します。買取日から8日間以内にご連絡を頂ければ返品の対応を致します。

品物が少量でも出張買取にきてもらえますか?

対応致します。お気軽にご相談ください。

品物が多すぎて店舗へ来店できません。出張買取は対応しているの?

対応致します。出張料金は無料ですので、お困りの際はお気軽にご相談ください。

KURAYA3つの強み

  • 査定に自信豊富な経験と知識

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    しっかりお客様と会話をして、なぜこの価格になるのかご説明致します。

店舗情報

  • 住所〒362-0035 埼玉県上尾市仲町1-7-25
    フリーダイヤル0120-710-998
    電話番号048-782-6611
    許可証埼玉県公安委員会許可 第431330035298号
  • 営業時間10:00~19:00
    定休日なし(年末年始:12/31~1/5を除く)
    駐車場あり/店舗横入った所 無料 1台/隣ビル1階がファミリーマートの立体駐車場。無料券あり
    その他の情報その他の情報は、特定商法に基づく表記をご覧ください。

アクセス

上尾駅東口徒歩2分

埼玉県の特徴と歴史について

埼玉県は、首都圏の一角をなしている人口全国第5位の県で、晴れの日が多いことで有名です。気象庁の資料によると、2009年から2018年の過去10年間で快晴日数が567日と日本一です。また、勾配が緩やかな地形面積割合は全国1位で、川沿いを走る日本一長いサイクリングロード(約170km)も通っています。東京都心から1時間と、気軽に行ける観光地として人気の「小江戸・川越」や、2019年3月には、「埼玉のフィンランド」と呼ばれる飯能市に北欧童話で有名な「ムーミン」のテーマパークがオープンしたことで、観光・リゾート地としても注目されている県です。埼玉県の名産品といえば五家宝や草加煎餅が有名で、十万石饅頭は世界的巨匠としても有名な版画家、棟方志功も絶賛したといわれています。埼玉県という県名の由来は諸説ありますが、県域の中で最も広かったのが旧埼玉郡だったため、「埼玉」が県の名称とされました。埼玉県は歴史スポットも多く、古代遺跡や城、寺社や、関東七名城のひとつである川越城も観光地として人気です。埼玉県の偉人である「渋沢栄一」は近代日本経済の父といわれ、産業の育成や近代企業の確立、教育・社会事業も努め、第一国立銀行(みずほ銀行)をはじめ、500もの企業の設立に関わりました。平成31には、新一万円券の肖像にも決まっています。また、埼玉県は芸術家を多く輩出しており、その理由として、1923(大正12)年に「関東大震災」が起きたあと、大きな被害を免れた浦和に、東京から多くの人々が移り住みました。移り住んだ人々のなかに学者や文化人、芸術家が多く、鹿島台には40名以上もの画家が住み、後に「浦和画家」と呼ばれるようになりました。東京から近く、洋風の建物や自然も多いことから人気が出たと言われております。 このように埼玉県は昔から、美術品にとても縁のあるところです。

上尾市の特徴と歴史について

上尾市は、人口約23万人と、埼玉県内では春日部市に次いで第8位です。埼玉県の中でも人口の多いさいたま市、川越市とも隣接しており、他にも伊奈町、蓮田市、川島町、桶川市と6つの市と隣接しています。交通面では大宮駅まで約7分、池袋駅まで約34分と東京都心へのアクセスがよく、羽田空港や各方面へ向かうバスも出ています。上尾駅東口の駅前広場には商業施設が複数あり、駅周辺には様々な飲食店も点在しているため、住みやすい環境といわれてます。上尾市の歴史は古く、市内にある殿山遺跡からは約2万年前の旧石器時代のものと推定される、約2,300点の石が出土しました。中でも関東では珍しい瀬戸内地方の国府(こう)型ナイフ形石器が出土していることから、古くから「西日本と東日本が交流していた」という仮説も立てられています。上尾市は自然の中で遊べるスポットが多く、榎本牧場では様々な動物と触れ合え、上平公園はテニスコートや市民球場のあるスポーツ施設として人気です。なかでも上尾丸山公園はロープウェイやアスレチック、児童遊園地や小動物と触れ合え園内で楽しめる施設も豊富!春には桜も見応えがあるため、地域の人々に長らく愛されています。上尾駅は駅前開発が進んでいることもあり、ファミリー層に人気の住宅都市です。

桶川市の特徴と歴史について

桶川市は、埼玉県中央に位置し、日本列島のほぼ中央にも位置する、人口約75,000人の市です。桶川市の歴史は古く、旧石器時代まで遡ることができます。荒川へと合流する江川の流域は埼玉県の中でも多くの遺跡が発見されている地域。ふじま山遺跡、高井遺跡、諏訪野遺跡などからは、約4500~5000年前ほど前に人々が暮らしていたことが分かる、大きな村や、土器や石器が発見されています。江戸時代には徳川幕府が、桶川に中山道を通し、そこに「桶川宿」ができました。宿泊客は主に江戸から来た旅人が多かったようで、農産物集散地だったことからも、多くの人で賑わっていました。桶川市のシンボルである「紅花」は桶川宿で多く取引され、現在では桶川の紅花の生産量は、山形の最上地方に次ぐ国内で第2位の生産量を誇ります。また、桶川市寿にある桶川稲荷神社(創建 1668年)には日本一重い力石があり、江戸を代表する力持ちと呼ばれた力士、三ノ宮卯之助がこれを持ち上げたという言い伝えもあります。桶川駅は、JR高崎線と湘南新宿ラインの快速が止まる駅で、東京都心にアクセスが良く、通勤通学に便利です。桶川駅から東京駅まで48分、池袋駅まで約39分、新宿駅まで44分、上野駅まで約41分、大宮駅までは約14分と主要ターミナル駅には50分以内で到着可能です。駅前にはスーパーや飲食店が点在し、駅から離れると自然が多い閑静な住宅街があります。桶川市は、みんなで“つくり 育む 活気あふれる交通拠点都市 おけがわ”を、市のキャッチコピーに掲げ、健康で文化的なまちづくりをしています。

北本市の特徴と歴史について

北本市は、埼玉県の中央に位置する、人口約6万6千人規模の、豊かな自然が残るまちです。鴻巣市、桶川市、川島町・吉見町の4つの市と隣接しており、市街地には、かつての武蔵野の面影が残る雑木林(北本中央緑地)や、田園地帯も広がっています。北本市といえば、東光寺境内にある、樹齢約800年の石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)が有名で、唯一関東にある「日本五大桜」の一つに数えられ、福島県三春町の三春滝ザクラ、山梨県北杜市の山高神代ザクラ、静岡県富士宮市の狩宿の下馬ザクラ、岐阜県本巣市の根尾谷淡墨ザクラと共に、銘木と呼ばれています。石戸蒲ザクラの名前の由来は、源頼朝の異母弟である、源範頼(みなもとののりより)が、現在の静岡県浜松市で生まれたことから、蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれており、建久4年(1193年)には、頼朝からの疑いで伊豆で殺されたとされていますが、殺されずに石戸宿に逃がれ、そこに住み隠れて生き延びたという伝説があることから、この名がついたとされています。自生する蒲ザクラとしては世界唯一で希少であり、大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定されました。毎年春になると、純白で小ぶりの花が咲き、多くの人の目を楽しませています。市内には、里山の景観が広く残されている、北本自然観察公園をはじめ、多くの公園が点在しており、四季折々の自然を楽しむことができます。交通面では、東京都心の主要駅までのアクセスが良好で、東京駅、新宿駅、渋谷駅、池袋駅、上野駅、品川駅まで、約50~60分の乗り換え無しで行くことができるため、通勤通学にも便利です。北本市では、キャッチフレーズを「感動桜国(おうこく)きたもと」と掲げ、自然や文化を活用した、感動や共感を呼び起こすまちづくりを進めています。

鴻巣市の特徴と歴史について

鴻巣市は、埼玉県のほぼ中央に位置する、人口約11万8千人の市で、東京のベットタウンとしての性質を持ちます。鴻巣市は、およそ400年もの伝統が続く、鴻巣雛(埼玉県の伝統的手工芸品に指定されている)の産地であり、江戸時代には、五街道のひとつである「中山道」の宿場町の鴻巣宿として栄えました。この頃から全国的な人形の産地として知られており、鴻巣市は「ひな人形のまち」と呼ばれています。鴻巣市観光協会主催の鴻巣びっくりひな祭りでは「日本一高いピラミッドひな壇」が展示されており、毎年ひな祭りの時期である2月中旬から3月上旬に楽しむことができます。鴻巣市は、日本一高いピラミッドひな壇の他にも、合わせて「8つ」もの日本一があります。中でも鴻巣は、全国的に花の一大産地として有名で「花のまち」としても知られており、マリーゴールド、プリムラ、サルビアは日本一の出荷量を誇っています。荒川河川敷にあるポピー畑の「ポピー・ハッピースクエア」は東京ドーム約2.5個分もの面積があり、ポピー栽培面積日本一として日本一ネットに認定されています。5月頃に花の見頃を迎え、約3,000万本ものポピーを見ることができます。また、本宮町にある鴻神社(こうじんじゃ)には、鴻巣(こうのす)の地名の由来となる「こうのとりの伝説」も残っており、ある時こうのとりがこの地の「木の神」と呼ばれる大きな木に巣を作ってから、平和な日々が続いたことから、木の下にお宮を作り「鴻の宮」と名付けたと言い伝えられています。鴻巣駅は、東京都心の主要駅まで乗り換えなしで約一時間以内に到着し、JR高崎線の全ての駅で快速が止まる、交通アクセスも良い駅です。鴻巣市は、歴史や自然を感じられるスポットも多くあり、閑静な住宅街が広がるため住みやすく、若年層の人口が増えている街です。現在では、住宅の再開発や商業施設の建設も進められており、県の中核都市として発展を続けています。

伊奈町の特徴と歴史について

伊奈町は、埼玉県の中南部にある、人口約4万4千人の北足立郡に属する唯一の町です。伊奈町の歴史は古く、町域には薬師堂根遺跡、戸崎前遺跡、向原遺跡、大山遺跡等、複数の遺跡が発掘されており、調査では古墳時代の集落跡が見つかっていることから、古くからこの地域に、多くの人々が暮らしていたことがうかがえます。伊奈町という名前は、「伊奈氏屋敷跡」に住んでいた伊奈忠次(いなたたつぐ)公に由来しています。徳川家康が江戸に国を築くにあたり、関東にある氾濫の多い川を治める必要がありました。伊奈忠次はその指揮を任され、才能や人望を生かして活躍し、大きな川を治める土木技術は「江戸の礎」になったとも言われております。「伊奈氏屋敷跡」は建物は残っていませんが、忠次公が400年以上前に歩いたとされる道も残っており、江戸時代の陣屋を思わせる地形は、全国的にも貴重な歴史を伺うことができる観光スポットです。また、「伊奈町制施行記念公園」には、遊び場や広場が多くあり、なかでも、埼玉県内最大規模で、関東圏でも有数のバラ園があることから、「バラのまち」と呼ばれ、年中通して自然を楽しめます。伊奈町は、「ずっと住みたい 緑にあふれた 安心・安全なまち」を目指しており、町内には緑や公園が多く、閑静な住宅街が広がっていることから、子育てをするファミリー層に人気を集めているまちです。

蓮田市の特徴と歴史について

蓮田市は、埼玉県の東部に位置する、人口約6万2千の町で、県内で最も人口の多いさいたま市をはじめ6つの市と隣接しています。蓮田市の歴史は古く、「埋蔵文化財の宝庫」と呼ばれるほど市内の随所で遺跡が発掘され、貝塚の多くは縄文時代のものとされています。その中には貴重な遺物が出土しており、関山貝塚からは県指定有形文化財に指定された関山式土器や、国指定史跡の黒浜貝塚からは、住居跡や黒浜式土器、多くの貝類が発掘されており、当時はあたり一帯が海だったこともうかがえます。蓮田(はすだ)の地名は、蓮田5丁目にある蓮華院弥陀堂(れんげいんみだどう)から由来すると言われています。天平15年(743年)聖武天皇が諸国の巡察をするために、東国に僧・義澄(よしずみ)を派遣しました。道中義澄が弥陀堂を宿にし、一夜を過ごした翌朝、目の前の沼田に蓮の花が生い茂っており、その美しさに心を打たれたことから「蓮華院弥陀堂」と名付けたという伝説も残っています。蓮田市は、交通アクセスが良いことから、東京のベットタウンとしても人気の街で、東京駅や新宿駅など都心には、乗り換えなしの所要時間40分ほどで行けるため、通勤通学にも便利です。また、蓮田市は自然が豊富な街で、市内には40以上の公園や、昔ながらの田園風景が広がり、住宅開発が進んいることや治安が良いことからも、定住したいファミリー層に人気の街です。

川越市の特徴と歴史について

川越市は、埼玉県中央部よりの南西部に位置し、人口35万人を超える、中核市、保健所政令市、業務核都市に指定されている都市です。県内では、さいたま市、川口に次いで3位の人口規模を誇ります。川越市は、歴史的な建造物や伝統的行事が多く残っている環境であることからも、埼玉県内では唯一の「歴史都市」として認定されています。歴史は古く、市内には旧石器時代から、縄文、弥生時代の遺跡があり、三変稲荷神社古墳や愛宕神社古墳など、数基から数十基で構成されている古墳群が発見されています。川越市は「小江戸」の別名を持ち、江戸時代には徳川家康により川越藩が置かれ、城下町として栄えていきました。幕府は川越を江戸北部の防衛線として重視し、有力な大名を配置したことから町が整備され、物流が活発になり商人の町として発展しました。国内外問わず観光スポットとして人気があり、その数は年間770万人を超え、内30万人もの外国人観光客が訪れています。メインストリートの一番街には、町のシンボルの「時の鐘」が建ち、城下町の面影が残る蔵造りの町並みや、横丁など楽しむことができます。宮下町にある川越氷川神社の歴史は古く、今から約千五百年前の欽明天皇二年に創建されたと言われており、川越城が建てられてから、川越の総鎮守として信仰される神社です。交通アクセス面としても便利で、川越駅はJR埼京線、JR川越線、東武東上線の3つの路線が通り、大宮駅まで約20分、池袋駅まで約30分、新宿駅まで約40分と、東京都内の主要駅へも乗り換えなしでいけるため、アクセス環境も良いです。駅前にはショッピングセンターが立ち並び、本川越駅とJRの川越駅とを結ぶ商店街の「サンロード」には、地元民向けの店が多くあるため、買い物や飲食にも便利です。住宅街には自然も多く、落ち着いた雰囲気で、観光地でも安心して子育が出来、普段から歴史に触れ合えることができるところも魅力の都市です。

さいたま市の特徴と歴史について

さいたま市は、埼玉県の県庁所在地で南東部に位置しています。平成13年5月1日に、浦和市・大宮市・与野市の3市の合併で誕生し、全国で13番目の政令指定都市になりました。人口約130万人の、埼玉県内では第1位の人口規模を誇っており、日本国内では第九位の人口となります。江戸時代には五街道のひとつに中山道が作られ、宿場町として発展してきた歴史があり、現在では東京のベッドタウンとして多くの人が暮らしています。さいたま市の定番観光スポットといえば「鉄道博物館」や「岩槻城址公園」「大宮公園」「さいたま市大宮盆栽美術館」「調神社」「武蔵一宮氷川神社」など、四季を楽しめるお出かけスポットが多く、観光も楽しめるまちです。また、交通アクセスの利便性が高く、大宮駅から新宿駅、東京駅まで約30分、羽田空港まで約60分の距離にあります。関東の「住みたい街ランキング」では大宮が4位、浦和10位に選ばれています。市のコンセプトとして、「みんなが、のびのび、暮らせるまち。未来に向かって、伸びて伸びて、いくまち。」を掲げており、ファッションビルや大型商業施設が多数あることや、教育に力を入れていること、交通の利便性においても総合的に暮らしやすい、人気のある都市です。

さいたま市大宮区の特徴と歴史について

さいたま市大宮区は、埼玉県内でも3番目に人口の多い街で、市の中央に位置しています。高鼻町には有名な武蔵一宮氷川神社(創建 孝昭天皇3年)があり、およそ2,400年もの歴史ある神社で、埼玉、東京、神奈川にある280社にも上る「氷川神社」の総本社です。パワースポットとしても人気があり、毎年初詣には多くの参拝者で賑わっています。氷川神社は「大宮」という地名の由来でもあり、平安時代の文献によると、地域の中でも格式高い氷川神社を「大いなる宮居」と称えたことに由来しています。江戸時代には、中山道の宿場町として栄え、後に交通の要衝として発展していきました。現在の大宮駅は13もの路線があり、埼京線や武蔵野線をはじめ、6つの新幹線も通っています。さいたま市の中でも最大規模のターミナル駅で、東京都心へのアクセスも良く、乗り入れ路線数は東京駅に次いで全国2位を誇っています。大宮駅周辺には、ショッピングセンターや飲食店など繁華街が広がり、交通の便利さからも県内で最も栄えているエリアです。大宮を代表する観光スポットの一つである鉄道博物館には、実物の鉄道などが展示されており、「鉄道の町」として現在まで発展してきた歴史もあることから、様々な体験を通し歴史を学ぶことができます。他にも、大宮公園には広大な敷地が広がり、日本さくら名所100選にも選ばれた1000本もの桜や、樹齢100年を超える赤松林が見られるなど、四季折々の自然が楽しめます。交通や商業施設が充実している街ですが、駅を少し離れると神社や公園、閑静な住宅街もあり、医療や教育機関も整っているため、単身・ファミリー層どちらも住みやすい都市として人気です。

さいたま市北区の特徴と歴史について

さいたま市北区は、さいたま市の北部、江戸時代での五街道のひとつである、中山道の大宮宿から上尾宿の間に位置しています。北区は、さいたま市を構成する10区のうちの1区で、見沼区、西区、大宮区、上尾市の四つのまちと隣接しています。市域には古くから人が居住していたことが分かっており、奈良瀬戸遺跡(奈良町)からは、縄文時代はじめからおわりまでの遺物が発見しています。その他にも、吉野原遺跡(吉野町)では、弥生時代後期の集落跡も発見されており、古墳時代の住居跡からは鉄製農具がみつかっていることから、歴史の古さを伺えます。市指定の無形民俗文化財としては、「日進神社」で毎年新年を迎えるとともに開始される「日進餅つき踊り」という神事があります。歴史は江戸時代までさかのぼり、中山道の宿場には大名や武士が泊まる宿泊施設があったので、ねぎらいやもてなしも兼ねて、餅つきをしたことから始まったといわれています。また、大宮盆栽村(盆栽町)は、世界に誇る「名品盆栽」の聖地と呼ばれ、日本だけでなく世界からも注目を集め、多くの愛好者や観光客が訪れています。交通面では、JR高崎線、宇都宮線、川越線、埼玉新都市交通の4つの路線が走り、埼玉新都市交通のニューシャトル(伊奈線)は新幹線に沿って走行しています。周辺には10もの駅があることから、通学、通勤に便利な環境です。北区は交通の便が良いことから、マンション開発が進み、文化施設やショッピングモール、大型商業施設も複数あるため、さいたま市の副都心の一つとして期待されており、住みやすいまちとしても人気です。

さいたま市西区の特徴と歴史について

さいたま市西区は、さいたま市の北西部に位置し、東には鴨川、西には荒川が流れています。荒川河川敷には緑地を利用した西遊馬公園があり、大宮花の丘農林公苑では四季折々の花を楽しめることからも、『水と緑と花のまち』と呼ばれています。駅周辺は住宅化が進められる一方、その他の地区には畑や昔ながらの田園風景も広がっています。さいたま市を構成する10区のうちの1区で、平成15年4月、さいたま市が政令指定都市へ移行したことに伴い誕生しました。西区中釘にある秋葉神社は、聖武天皇の天平時代(約1250年前)に創建されたと伝えられ、火之迦具土神(ホノカグヅチノオオカミ)を御祭神とする、歴史ある神社です。火防、盗難除、病平癒百難消除等のご利益があり、年に二回行われる、春と秋の例大祭では多くの参拝客で賑わっています。また、埼玉県の史跡として、宮前町にある方墳大塚古墳が指定されており、未調査のため詳細は不明ですが、埼玉県内の古墳には円墳が多いところ、方墳であることから貴重とされています。西区には、道路交通網の要衝となる西大宮バイパスと新大宮バイパスが通っており、西大宮駅から東京都心までのアクセス(東京・新宿・渋谷まで約40分)が良好で、都市計画も進んでいることから、今後のまちの発展が期待されています。

さいたま市浦和区の特徴と歴史について

浦和区はさいたま市の南部に位置している、人口約16万4千人の都市です。埼玉県の行政の中心地といわれ、市役所をはじめ県などの官公庁や文化、教育施設も数多く、歴史のある文教地区になります。また、浦和区はJリーグ浦和レッズのホームタウンです。古くからサッカーが盛んで「サッカー街」とも呼ばれています。1908年に埼玉師範学校にサッカーが伝えられ、サッカー指導者が多数生まれたことが盛んになったきっかけで、特に高校サッカーで圧倒的な強さを誇っていました。かつてサッカーブームを巻き起こした漫画「赤き血のイレブン」のモデルも浦和区にある「浦和南高校」のサッカー部だといわれています。更に浦和にはたくさんの観光スポットや商業施設があります。埼玉県立近代美術館は、北浦和駅から徒歩5分の立地にある北浦和公園の中にあり、1982年に開館した歴史ある美術館です。ピカソを始めとする海外の有名画家の絵画や、日本の現代作家の絵画も多数展示しています。展示されているのは絵画だけでなく、様々な展示物があり1日中楽しめるスポットとなっています。次に浦和駅から徒歩5分で見えてくるのが平安時代に弘法大師によって創建された寺院「玉蔵院」です。玉蔵院は桜の名所としても知られており、春には沢山の観光客で賑わう人気のスポットです。特に本堂のそばにあるしだれ桜は樹齢100年以上とも言われており、屈指の名所となっています。浦和駅の近くにはパルコ、伊勢丹、コルソがあり買い物に便利です。駅周辺はキレイに整備されており、終日買い物客で賑わっています。駅周辺はさいたま市の中でも犯罪率が低く、治安が良いことで知られています。更に東京駅まで25分と都心へのアクセスが良く、住みたい街でもトップ10にランクインするなど人気の都市です。

さいたま市中央区の特徴と歴史について

さいたま市中央区は、さいたま市の中央部より西に位置する、人口約10万人の市です。中央区は、ほぼ旧与野市の市域にあたり、さいたま市が政令指定都市に移行する際、浦和市・大宮市・与野市の3市の合併に伴い、旧与野市にさいたま新都心西側地区の一部を加えて誕生しました。この地域の歴史は古く、大戸貝塚は縄文時代前期の貝塚で、貝殻やハマグリなど発掘されています。鎌倉時代、旧与野市(中央区)は鎌倉街道の要衝として栄え、農産物の市場が開かれていました。江戸時代に入ると中山道が整備され、甲州街道と奥州街道を結ぶ重要な場所に位置していたことからも、宿場の町として、市場の町として、明治時代にかけて栄えていきました。今も尚、与野本町通りには江戸の面影が残る蔵造りの街並みが残っており、歴史ある建造物を眺めることができます。交通アクセスとしても利便性は高く、与野本町駅から東京都内の主要駅(新宿・渋谷・池袋)まで、乗り換えなしで約35分以内で到着し、東京駅までは約40分で到着するため、買い物や通勤通学にも便利です。駅の周辺は、彩の国さいたま芸術劇場や公共施設が充実しており、140年以上の歴史がある与野公園(明治10年に開設)はサクラとバラの名所で、毎年開花時期に合わせてばらまつりも開催されています。中央区の大部分は、閑静な住宅街が広がり、公園も点在していて、芸術から自然やスポーツも楽しむことができます。中央区は「芸術、文化創造発信の地」として、町の歴史や芸術劇場を生かした街づくりを進めています。

さいたま市岩槻区の特徴と歴史について

岩槻区は、さいたま市の東部に位置する、人口約11万人の街です。さいたま市の中では最も面積が広く、見沼区・緑区に隣接しています。岩槻駅は、埼玉県のターミナル駅である大宮駅から、東武野田線の急行で一駅で到着し、東京都心までのアクセスも良好で、通勤通学にも便利です。岩槻の歴史としては、名城とも呼ばれる岩槻城(別名浮城、白鶴城、竹束の城)が室町時代後期(長禄元 1457年)に建てられており、築城者は諸説あるようで、扇谷上杉持朝(扇谷上杉氏)が江戸城などを手掛けた太田道真(道灌父子)に命じた説と、のぼうの城(忍城)城主の成田氏(成田正等)が建築したという説もありますが詳細は不明です。江戸時代には、岩槻城は北方の要と重視され、幕府要職の譜代大名が城主を務めました。岩槻は大岡家岩槻藩2万2千石の城下町として、日光御成街道の宿場町としても発展し、武蔵国東部の中心地となり栄えていきました。また、岩槻は「人形の町」としても有名で、国内トップクラスの日本人形出荷数を誇っています。岩槻で作られている人形は「岩槻人形」とまとめて呼ばれることもありますが、衣裳着人形を「岩槻人形」、木目込人形は「江戸木目込人形」と呼ばれ、共に国の伝統的工芸品にも指定されています。太田の岩槻城址公園は、春になると約650本もの桜が咲き誇ることから、県内でも有数の桜の名所といわれています。他にも、様々なスポーツ施設や広場もあり、家族で楽しめるスポットです。岩槻区は、自然や歴史が感じられるスポットが多く点在し、アクセス環境も良く、閑静な住宅地のため安心して住める街です。

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