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骨董品
2020/11/19

松平慶永とは【功績/関連書/価値/松平春嶽とは】

松平慶永/松平春嶽の生い立ちは?

松平慶永(まつだいらよしなが)18289月に江戸で生まれました。“春獄”は松平慶永が最もよく使用した号であると言われており、そのため“松平春獄”の名でも広く知られています。

 

父は御三卿の田安斉匡でしたが、松平慶永は江戸で生まれた時から、のちに福井藩藩主の養子となることが確定していました。そして1838年に藩主・松平斉善が亡くなると、正式に養子となり、11歳の若さで第16代藩主に就任。着任後は財政の安定に務めたほか、福井藩の橋本左内や由利公正を起用する事で、資本主義の海外に対抗するべく近代産業の取り入れを行っています。

また1853年、浦賀に訪れた海軍のペリーによる一連の騒動の中で、一時は海外からの驚異を退ける攘夷論に賛成を示していましたが、阿部正弘などと親交したことで考えを改めると、開国派の1人となりました。その後は徳川家の将軍継承問題の渦中の人物となり、松平慶永を次期大老にと推す声があがったものの、結果的には井伊直弼が就任。のちに井伊直弼がペリーの念願でもある日本の開国を約束する日米修好通商条約を独断で締結した際は、松平慶永も抗議しましたが、それがきっかけとなり、30歳の頃に隠居および謹慎処分となります。

 

それから約4年ののち、再び幕政に参加。まもなく政事総裁職に就くと、朝廷と幕府が協力する公武合体を成立させるために尽力しています。明治維新後の新政府では、大蔵卿や民部卿など要職を歴任していきますが、40代前半で政治からは退きました。

 

そして18906月、63歳で息を引き取っています。

 

 

 

松平慶永の活動の特徴は?

松平慶永は時代の混乱期の中では相対する二つを共に敬う、尊王敬幕の考えももって政治の改革に務め、一橋慶喜を支え続けた所に特徴があります。なお薩摩や土佐、宇和島の藩主と並んで、四賢侯の一人としての呼ばれも持っています。

他にも1843年に参勤交代で福井の地を初めて踏んだのですが、福井城下にて天然痘の対策に除痘館を設けたり、後進を育てる目的で明道館も立ち上げるなどの功績が知られています。

 

 

 

松平慶永関連書の価値は?

安政元年となる1854年にペリーが再び日本に訪れた際の事を書いた『合同舶入相秘記』。

16歳頃からの自身の日記である『松平春嶽全集』。

松平慶永の坂本竜馬評である『逸事史補』。

 

他の代表作

 

『松平春岳未公刊書簡集』などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■橋本左内(はしもとさない)

1834年に生まれ、明道館の教授を務めた、元は藩医をしていた人物です。

松平慶永の側近となり、一橋慶喜を支えますが、井伊直弼によって死刑となります。

 

■由利公正(ゆりきみまさ/ゆりこうせい)

1829年生まれの福井藩士です。松平慶永のもとで、藩の財政再建に奔走し、明治維新以降は金融関連の職に抜擢されました。

また1871年には東京都知事となり、まもなく岩倉使節団に加わるなど活躍しています。

 

 

 

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