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2020.10.01
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中村貞以【日本画家/大阪府/美人画】

中村貞以の生い立ちは?

中村貞以(なかむらていい)19007月に大阪の船場で生まれました。なお本名は清貞と言います。幼少期に両手に大怪我を負う事故が起き、その為画家として活動する際も、筆を両手で持ち、作品を描きました。

 

幼い頃から書画に優れており、9歳の時には浮世絵画家の2代目の谷川貞信から絵を学んでいます。その後一旦経理学校に通うものの中退。のちの1919年には美人画で『戯れ』や『真葛庵の蓮月』などが知られている、北野恒富から教わるようになりました。ここで腕を磨き、翌年の第6回大阪美術展において出品した『微笑』は、初入選を獲得下と同時に中村貞以の代表的な作品のひとつになりました。

また2年後の1922年の同展において『お玉』が第一席となり、以降受賞を重ね続けます。

 

やがて30代になると画塾である春泥会を立ち上げ後進の指導も務めるようになり、また一方で、日本美術院同人として推薦され、さらに日本美術展覧会の審査員ともなっています。1951年には大阪府芸術賞を獲得。また1960年には大阪市民文化賞を受賞するなどして、晩年まで作品制作を続けています。そして19823月、81歳で息を引き取りました。

 

 

 

中村貞以の作品の特徴は?

中村貞以は活動初期は北野恒富の影響が強く感じられる作品を描いてきたのですが、1930年に娘が生まれ、以降は彼女を題材にした、内面的に充実感がある作品を描いていきます。

 

 

 

中村貞以の他の評価の背景は?

1960年第45回日本美術院展覧会文部大臣賞受賞となった『双婉』。

1965年第50回日本美術院展覧会で日本芸術院賞を獲得した『シャム猫と青衣』などで、美人画家として地位を確定化させたと言われています。

また1951年には檀一雄による『真説石川五右衛門』の挿絵を手掛け、1970年にはは真宗大谷派難波別院本堂余間の為の襖絵『春・得度の図、秋・往生の図』を制作しました。

ちなみに後進の指導を行った画家には『五月人形(鯛を釣る童子)』や『舞女』の横山余禰。『富貴』や『蘭薫る』の松岡政信がいます。

 

他の代表作など

 

1942年に発表となった『鏡獅子』(水野美術館が所蔵)

1956年に第41回再興院展の発表作品である『爽凉』。

1968年に同じく第53回再興院展の発表作品の『香を聞く』。

(いずれも東京国立近代美術館が所蔵)

などがあります。

 

 

 

ワード紹介

■北野恒富(きたのつねとみ)

1880年に石川県で生まれました。大阪美術会を立ち上げるなど、大阪を主な活動の場として活躍しました。

同じ様に美人画を描いていき、最初は怪しい雰囲気が濃い作品を発表していきましたが、後に内面性の充実を図っていきました。