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掛け軸・絵画
2020/07/09

河崎蘭香【日本画家/愛媛県/女流画家】

河崎蘭香(かわさきらんこう)

河崎蘭香は1882年11月に愛媛県西宇和郡で生まれました。なお本名は河崎菊子と言い旧姓は神山となりますが、養子となったことで河崎に変わったと言われています。その後、小学校を出ると東京の音楽学校に入り、一年後に卒業するものの、次は画家を目指します。絵を学ぶために今度は1899年に京都に上り、そこでは日本画家の菊池芳文の門下生として四条派について教わりました。

そして1901年、八幡浜の八坂神社本殿の天井の為の絵を30枚描き奉納。2年後、今度は東京へ渡ると、その場所では代表作として『瀟湘八景』や『渓四題』があり、狩野派でもありながら四条派や大和絵的なテイストを持ち込んだ寺崎広業から指導を受けていきます。

絵画共進会を活躍の場として立て続けに入選し、1907年の東京勧業博覧会においては、出品した『冷美』が3等賞碑を獲得。また同年の第1回文部省美術展覧会で出した『夕雲』が入選となったり、その後も文部省美術展覧会の場で活躍を続けていきました。

他には巽画会の会員ともなっていますが、1918年3月、わずか37歳の若さで息を引き取っています。

 

 

河崎蘭香の作品の特徴は?

美人画がよく知られていますが、風俗や花鳥画も描いています。

また1907年からは『婦人画報』や『女学世界』と言ったような女性雑誌の口絵や表紙絵などを手掛けたことで、女性からの人気を獲得しました。

 

 

河崎蘭香はどのように評価できる?

明治時代は多くの女流画家が活躍した時期でもあります。

例えば豪快な風貌も相まって話題性を獲得した奥原晴湖。跡見女学校を立ち上げたことで知られている跡見花蹊。内親王御用掛となった跡見玉枝。パリ万国博覧会にて入賞し美人画に優れた上村松園などがいます。

河崎蘭香も含んで、彼女たちは才能に恵まれた婦人と言う意味の閨秀(けいしゅう)画家と呼ばれ、特に東の蘭香、西の松園とも呼ばれました。

 

■他の代表作

1914年の第8回文部省美術展覧会で褒状となった『広間へ』。翌年の同展で3等賞となった『霜月十五日』や、同じく文展(文部省美術展覧会の略)入選作の『たわむれ』なども代表作の一つです。

 

 

各ワード紹介

■美人画

その言葉通りに美しい容姿の人物を描いたものであり、女性がよく取り上げられますが男性性が希薄な少年画も指したりもします。

日本特有の題材とも言われていますが、花魁や遊女などが描かれているように、日本独自の文化が強調されている側面があると考えます。

 

■女性雑誌

雑誌自体は元々明治の始まりから存在していましたが、今と比べて本格的でありませんでした。ところが1894年に起こった日露戦争をきっかけとして、商業的存在感が強くなり、女性雑誌としての地位が高められるのは1897年頃となります。

また新聞の大阪毎日新聞には家庭欄が作られたり女性誌としても実用的なものから化粧品の広告まで出るようになり、女性誌の広告は人目を引く鮮やかな絵柄が特徴となっています。ただその女性雑誌も時代の移り変わりで消えたり、別のものが登場するなど流行り廃りがあります。

 

 

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