加藤昭男は1927年6月に愛知県瀬戸市で生まれました。なお父の加藤鶴一は華仙の名前で帝国美術院展覧会や新文部省美術展覧会において活躍し、叔父の北川民次は二科会会長を務める洋画家と、芸術に強い家系でもあります。
加藤昭男は1940年に愛知県立窯業学校に入ると、絵画を佃政道から、彫刻を橋爪英夫から教わり、1945年には陶芸家の田沼起八郎から石膏デッサンについて学びました。また1948年に在籍していた京都工業専門学校を卒業すると同時に、小麦色の日本人裸婦の作品群を展開した洋画家の寺内萬治郎からも教わっています。なお翌年の1949年には東京藝術大学へ入ると同時に、戦後の具象彫刻の象徴的作家として、モニュメント像を多数手がけた菊池一雄の開く教室にも入りました。
このようにして多くの場所での学びを続け、1952年の第16回新制作協会展において発表した『立像』が入選。新制作協会は主な活躍の場となっていきます。
やがて1974年の第5回中原悌二郎賞にて『月に飛ぶ』が優秀賞を獲得。1980年には松下政経塾のアーチ門のレリーフ作品『明日の太陽』を発表。70代後半になっても制作活動を積極的に行い、77歳の時には旭日小綬章の受章し、また2009年には東京純心女子大学ギャラリーでの個展の開催を成功させました。
そして2015年、87歳で息を引き取っています。
加藤昭男は具象彫刻家に分類されますが写実性があると言うより、マンガ的とも言える大胆に各題材を簡略した作風が特徴となっています。例えば1974年に第2回長野市野外彫刻賞となった『母と子』は、子供に愛情を注ぎ込む親の姿をその生命力と母性を極端に強調したような作品です。
また美ヶ原高原美術館にある『鳩を放つ』は、そのタイトル通りの場面がひと目で理解できる内容で、コミカル性も感じられます。とは言えこれらの作品群は彫刻作品らしい筋肉の隆盛も見事に表現されているのです。
対象物をそのまま立体作品にしたような、『彫刻』と聞いて多くの人が想像する思われる彫刻作品とは違って、加藤昭男の作品は大胆な造形と言えます。またそれは具象彫刻のジャンルに分類され、加藤昭男は現代具象彫刻の第一人者とされています。
ヨーロッパやアメリカから日本に入ってきた抽象化の表現の中で、加藤昭男は1960年代中盤から立ち位置を見出し、人間と自然の関係性に注目した、粘土の質感を全面に出した具象彫刻を発表するようになりました。
1955年の第19回新制作協会展において新作家賞となった『トルソ』。翌年に同じ展覧会で同じく新作家賞となった『女』。
また、1994年に第25回中原悌二郎賞となった『何処へ』(文理情報短期大学に設置)など多くの作品を残しています。
■具象彫刻
具象とは対象物を明快に形にしているものを言います。具象彫刻の中ではオーギュスト・ロダンの作品で、1877年発表の『青銅時代』は、人間をそのまま型にしたのではないか?と疑われたほどそっくりで話題を呼びました。
とは言え現代の具象彫刻とされているものは必ずしも写実的ではなく、対象物を明快に形にしているのであれば、写実的でなくても良いとも考えられます。
■新制作協会
1936年に帝国美術院の中身が変わることに反対を示した小磯良平と猪熊弦一郎などの7人が、純粋な芸術活動のために設立しました。次々と様々な分野の芸術家が集まったのですが、1939年に本郷新や舟越保武などによって彫刻部が設けられています。
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