鈴木松年(すずきしょうねん)
鈴木松年は1848年6月に京都で生まれました。
また、父は美術界で大きな力を持つ
鈴木派を開いたとして知られている鈴木百年です。
その父から絵について教わり、
一方で詩集『梅東先生雁字詩』や
『椋湖観蓮集』が知られている、山田梅東からは
詩文について教わっていきます。
教育者としても活躍している鈴木松年は
1880年に幸野楳嶺などと共に
京都府画学校の設立に努めました。
なお、幸野楳嶺は竹内栖鳳や都路華香、
谷口香きょうや菊池芳文の
楳嶺四天王を育て上げた人物で、
京都府画学校の設立後は
同校の教員を務めていきます。
翌年、鈴木松年は父の後を次ぐ形で
京都府画学校の北宗科教員となり、1882年には
第1回内国絵画共進会で褒状を獲得。
また次の年には同会で銅章を得ました。
受賞はそれ以降も重ね続け
1893年のシカゴ万博で入賞したり、
1900年のパリ万博では銅賞を獲得する
と言ったように、海外での発表の場でも
その実力は認められていきます。
やがて活動終盤時期には
京都天竜寺の天井画を描き、
ゆったりとした日々を過ごします。
そして1918年、70歳で息を引き取りました。
作風
鈴木松年は鈴木派を新たに代表する画家として
明治前半の京都画壇において活躍しました。
しかしながら同じく鈴木派である
父の鈴木百年とは正反対の画風
とよく言われています。
鈴木百年は柔和なテイストであるのに対して
鈴木松年の場合は大胆なタッチで
山水や花鳥、人物画を描いているのが特徴です。
なおその画風から今簫白とも呼ばれており
独特の迫力には多くの人が魅了され、
江戸時代中盤から後半に活躍した
曽我蕭白を彷彿とさせると言われていました。
当時の京都画壇について
京都画壇と言うのは
江戸中盤の円山応挙から始まった、
と定義されています。
円山四条派や狩野派など
様々な流派が誕生しましたが、
全体的には写生重視となっていました。
しかし幕末から明治までの
混乱期の中で街は荒れ果て、
その中で西洋絵画の表現を
取り入れるようになっていきます。
京都画壇では鈴木百年の他に森寛斎や
幸野楳嶺の家塾が力を持っていたこともあって
強い師弟関係があり、それは1880年に
京都府画学校が創立されても、
それ以上に力を持っていたと言います。
教育者として後進に好評だった鈴木松年
前述の通り教育者としても活躍した
鈴木松年ですが、意外にも鈴木松年自身は
人から教わることにかなり
抵抗を持つ人物であったようです。
それが独自性の高い作風を生み出した
背景になっていると言われていますが、
作風と同じ様に教え方も大胆だったようで
他の教育者との折り合いは悪かった
とされています。
しかし教わる側には強く好評で、
同じ京都出身で品のある女性像を描いた
女流初の文化勲章者である日本画家の上村松園が
最初に教わる人としても知られています。
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