中村不折(なかむらふせつ)
中村不折(本名:鈼太郎)は
1866年7月に江戸で生まれました。
幼い頃から絵に興味があり、
10代末の頃には教員となりますが
これをきっかけに長野師範学校にて
河野次郎から絵について教わります。
その後河野次郎からの薦めもあって
1887年にさらなる絵の勉学のために上京。
後に不同舎と名を変えるようになる十一字会に入り
そこでは明治美術会を設立したり、
東京高等師範学校の教授を務める
小山正太郎から学びました。
その後1901年にフランスに渡り
そこでは写実的技法と
ドラマ性のある壁画作品で知られている
ジャン=ポール=ローランスから
指導を受けています。
基礎から徹底的に叩き込まれますが、
3年後の1904年には
月例コンクールで最高賞を獲得。
翌年の1905年に日本に帰ると太平洋画会会員となり
会員として『八重の潮路』や『無目堅間』を発表。
また夏目漱石の『吾輩は猫である』の
挿絵を担当しています。
1907年には、東京勧業博覧会審査員に選定され
大作となる『建国剏業』で
1等賞を一時的に選ばれるものの辞退しました。
やがて1919年に帝国美術院会員となり、
70代となった頃には国美術院会員となるなど
国内で活躍を続けますが、
1943年6月、78歳で息を引き取っています。
作風などについて
中村不折は骨太なタッチの
学術的な歴史画がよく知られています。
また、作品から西洋絵画的な影響を
よく感じ取れる点も指摘されています。
様々な師を持った事により培ってきた
高い基礎画力があり、
日本画や北画的要素の高い水墨画も描きました。
なお小山正太郎から学び
フランスに渡るまでの間も、
風景画や新聞と教科書の挿絵も手掛けています。
関連用語の細かい解説
・長野師範学校
後に信州大学教育学部となります。
長野県による師範学校でもあります。
・建国剏業
日本神話に登場する、太陽神で
伊弉諾尊の娘である天照大神を描いています。
・太平洋画会
美術団体で明治美術会の
元メンバーが集まっています。
1902年に第1回展が行われ中村不折の他に
同じ小山正太郎が師事である満谷国四郎や
彫刻家で『ふたり』や『ゆあみ』が知られている
新海竹太郎などが在籍。
絵画のみならず彫刻の後進の育成も行っています。
様々な事に挑戦した中村不折
中村不折の師事経験について振り返ると
苦学をしたように思えます。
上京をした際も
苦しい生活を送っていたようです。
しかしそう言った苦難を強いられたとしても
重ねた経験が、絵の基礎画力としても
培われていることは
作品を通して感じますし、本人は書道にも優れ
家に書道博物館を建てるなど
好奇心が強い一面があると考えます。
なお還暦となった時期には
『僕の歩いた道』と言う自伝も発表しています。
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