瑛九(えいきゅう)
瑛九(本名:杉田秀夫)は1911年に
宮崎県宮崎市で生まれました。
1925年に上京し日本美術学校に入るものの
1年で辞め、その後1927年から
美術雑誌『アトリエ』や『みずゑ』の場で
写真や美術批評を展開。
また写真について興味を持ち始めた瑛九は
1930年にオリエンタル写真学校に入り
同時期に写真雑誌『フォトタイムス』においても
写真や美術批評を発表し話題となります。
1934年からは油絵の制作に集中するものの
1936年には印画紙を使った“フォトデッサン”
に取り組み、瑛九の作家名もその頃に使い始めました。
また同年には新時代洋画展で同人となり
美術評論家で詩人でもある外山卯三郎や、
画家の長谷川三郎の協力により
フォトデッサン作品集の『眠りの理由』
を発表する事となります。
やがて1937年に自由美術家協会の設立に参加。
その後も積極的に作家として、
展示や製作なども行い、1960年3月、
49歳の時に息を引き取りました。
・新時代洋画展と自由美術家協会について
1934年に画家の山口薫や村井正誠。矢橋六郎が設立。
そこに難波田竜起や瑛九が加わったことで
自由美術家協会となります。
1940年に「自由」の文字を取り除いた
美術創作家協会と言う名前に変えたり、
また他の芸術家も次々と加えたりと形を変えて
戦前から戦後まで代表する美術団体となっています。
作風
写真家としても活動していた瑛九は
フォトデッサンによる作品が
最も数多く残されています。
フォトデッサンとはフォトグラムの事で
カメラを使わずに印画紙の上で
物を置き感光させる事で、
幾何学模様を発生させる作業を指します。
写真家のモホイ=ナジやマン・レイが
フォトグラムの代表的人物と言われていますが
瑛九の作品の場合はフォトデッサン
と言う造語を用います。
これについてはフォトデッサンよりも
作者の意図やイメージを反映させているので
フォトグラムと呼んでいるのはと指摘されています。
またフォトデッサンは写真の上下が
分かりにくいものが多かったり、
型紙をかなり使用しているとも言われています。
なおこれら技術の元となる研究を
オリエンタル写真学校在学時に行っています。
・テイストを次々と変えた時期もあります
1951年から『母』や『海底』と言った
銅版画の作品も発表。
1956年からはリトグラフによる作品展開も行い
自ら「リトグラフに取り憑かれている」
と言った趣旨の発言を残しています。
リトグラフ時代の代表的な経歴としては
1957年の第1回国際版画ビエンナーレ展において
出品した『旅人』や『日曜日』などがあります。
なおその頃になるとシュルレアリスム
(人間の無意識を採り入れた超現実主義)に惹かれ
その理由としては瑛九の弟を通して知り合った
大阪出身の画家、豊藤勇が
瑛九にシュルレアリスムについて説いたから
と言われています。
そして点描も行うようになるなど
作風が短いスタンスで切り替わるのも
瑛九の作家履歴の特徴の一つです。
作品制作に集中した瑛九
瑛九は自身がかかっている身体の病気を知らずに
作品制作に没頭し、僅か44歳で亡くなった
と伝えられています。
異変に気付いていたら
もっと長く生きられたかもしれませんが
作家としては病気に気づかず
自身のしたい事に集中できる、ということは
本望なのかもしれません。
なお瑛九の作品は故郷にある
宮崎県立美術館などで見られます。
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